切符収集の魅力 澤村光一郎

切符のプロによる研究者向けに硬券や補充券を紹介するブログ

平成24年に新長田が追加され改版された「パターンM」は、平成28年春にさらなる改版が実施された。

この時の振替輸送区間見直しでは、阪急嵐山駅とJR嵯峨嵐山駅が振替対応駅に追加された。これは431の記事で詳報した「パターンL」と同じ時にあたる。

この時の一斉取り替え時は後発のB社が印刷を担当した。そのため各駅ともB社タイプの振替乗車票が設備された。

JR10
JR パターンM 嵯峨嵐山追加券
新大阪 B社タイプ 窓口番号あり
平28.3.26〜31.3.15

JR11
JR パターンM 嵯峨嵐山追加券
丹波口 B社タイプ 窓口番号なし
平28.3.26〜31.3.15

JR10ウラ
裏面

ちなみに、この時初めて阪急と振替対応駅になったJR嵯峨野線の各駅は次のとおりだ。振替輸送協定上の阪急側の対応駅は()で表示した。

嵯峨嵐山ー(嵐山)
円町ー(西院)
二条ー(西院.大宮)
丹波口ー(西院.大宮)


主にラッシュ時間帯の振替輸送時に実施されるようになった「パターンM」の振替乗車票は、その後平成24年春の振替輸送区間見直し時に区間が新長田まで拡大された。

これは、神戸高速鉄道の営業を阪急、阪神、神戸電鉄の3社が行うこととなり、神戸高速鉄道株式会社との運賃精算がなくなったからである。

この時は、428の記事で解説した「パターンA」と同時に改版されているので、詳細はそちらの記事を参照してほしい。

また、印刷会社についても「パターンA」同様A社が担当したため、各駅ともA社タイプの券が設備された。

JR8
JRパターンM 新長田追加
大阪 窓口番号あり A社タイプ
平24.3.17〜28.3.25

JR8ウラ
裏面

428の記事でもとりあげたが、この時以降裏面の「神戸高速鉄道」が「神戸高速線」に改められている。

さて、新しくなった「パターンM」の振替乗車票だが、この改版後しばらくして在庫切れとなる駅が出ている。

理由は、明らかに請求枚数が少なかったからだ。私鉄の振替乗車票は本社側で保管定数が決められており、駅は振替乗車票を発行し在庫が少なくなると、減った分だけ請求する。すると本社側からすぐにその分だけが届くシステムだ。

ところがJRでは駅の営業助役クラスが各パターンの必要枚数を予測して請求をかける。このさじ加減は担当者に任せられている。

前回までの記事でも解説したとおり、阪急から受託する振替パターンは、それまで「パターンA」か「パターンL」のどちらかが多かった。

この「パターンM」は前年に数回発動されるようになったが、在庫切れになるほどではなかった。そのため、各駅ともそれほど多くの枚数を請求していなかった。

しかし、平成24年度はこの「パターンM」の発行枚数が非常に多かった。主にラッシュ時間帯の振替輸送で発動されたからである。

例えば、同じ3時間の振替輸送を行ったとしても、乗客が少ない昼間時間帯と乗客が多いラッシュ時間帯では発行枚数がぜんぜん違う。

また、「パターンA」、「パターンL」はそれぞれ阪急の神戸線不通時、京都線不通時と用途が分かれているが、この「パターンM」はそのどちらが不通になった際も発動された。

そうなると、本来は「パターンA」と「パターンL」の発行実績を合計した分ぐらいは「パターンM」を設備する必要があった。

しかし、JRの現場サイドには、今後「パターンA」「パターンL」の振替輸送が減少し、「パターンM」の振替輸送が増加するという情報が全く伝わっていなかった。

そのため、請求した「パターンM」の枚数ではぜんぜん足りなくなったのだ。追加請求しても納品までに一ヶ月以上かかるため、とうとう振替乗車票を使い切ってしまうケースが出てきたのだ。

本来は阪急側が、今後「パターンM」の振替輸送を多く実施するのであれば、予めJR各駅と情報共有することが必要だった。

しかし私鉄の感覚では、振替乗車票は本社でたくさん保管してあるもので、駅から請求があればすぐに本社側から送られてくるものだ。JRの現場サイドの苦労など知る由もなかった。

M大阪訂正
【参考】JRパターンM 新長田追加
発行駅名訂正 A社タイプ

振替乗車票が届くまでに在庫切れとなった駅は、このように在庫の多い駅から融通してもらい、発行箇所名を訂正して急場をしのいでいる。

この時の融通元は京都駅だったケースが多い。理由は430の記事でも書いたとおり、京都駅は阪急烏丸駅から請求が来た時にそちらへすぐに送れるよう多めの在庫を持っていたものと思われる。

そしてその後に届いた券は、表は違いがないが、裏面の依頼側会社名の「神戸高速線」が削除されている。これも「パターンA」と同じ流れである。

JR9
JRパターンM 裏神戸高速線削除
大阪 窓口番号あり A社タイプ
〜28.3.25
裏面に違いあり

JR9ウラ
裏面

「パターンM」はその後また平成28年春にさらなる改版を迎えることとなる。



「パターンM」も長年まったく実施されなかった振替パターンだった。阪急が止まった際、昔は神戸線が「パターンA」宝塚線が「パターンK」京都線が「パターンL」と決まっていた。

しかし、平成20年代に入り阪急は以前より広いパターンの振替輸送を依頼するケースが出てくるようになり、この「パターンM」も少しずつ発動されるようになった。

JRの振替乗車票は平成19年の春にICカード追記券に一斉取り替えされたため「パターンM」の最初のスルカンのみ記載券は一度も発行されないまま廃札となっている。

「パターンM」の区間はご覧のとおり阪急の神戸線、宝塚線、京都線の全てが止まった時を想定している。

これはJRが依頼する場合の「パターン.た」の反対版だが、元来は阪急の十三〜梅田間が不通となった際を想定し振替輸送協定を結んでいたようだ。

同区間には淀川橋梁がある。もしここで何らかの事態が発生し不通となった場合は、梅田へのアクセスが絶たれてしまう。その懸念から阪急側が希望した区間である。

しかし、実際には反対版にあたる「パターン.た」の実施のほうが多かった。ちなみに、この詳細は424の記事で詳報している。


さて、平成23年ごろから「パターンM」が実施されるケースが少しずつ出てきた。これは旅客の苦情とJR西日本からの要望があったと思われる。

例えば、阪急神戸線が事故の際、「パターンA」神戸〜大阪間だけの振替輸送では、阪急の神戸線から京都線方面への旅客に対し「阪急京都線は事故の影響が全くないので、JR大阪駅で下車して再び阪急梅田駅から阪急京都線をご利用ください。」と案内する。阪急京都線が事故の場合も同様だ。

しかし旅客の心情としては、わざわざJRの駅まで移動して振替乗車してみたら、JRは大阪駅で乗り換えなくそのまま目的地まで行けるため、大阪駅で下車せず、そのまま目的地まで乗って行きたくなるものだ。

そのため、「パターンA」や「パターンL」の振替輸送実施時は、振替輸送区間を越えて乗り越して来る旅客が多かった。

その場合JRの着駅で、乗り越し分のみJRの運賃を徴収することになる。JRにとってこれが非常に厄介なことだった。

平成20年代に入り、JR西日本では人件費削減のため、時間帯を区切って改札業務を休止する駅が増加した。

それらの駅は遠隔管理システムが導入されている。振替輸送実施時には改札にあるボタンを押すとコールセンターにつながり、振替輸送の旨を申告すると改札を出入りできる仕組みだ。

しかし、振替輸送区間外に乗り越して来た旅客からは乗り越し運賃を徴収しなければならないが、旅客の持っている振替乗車票は自動精算機が使えない。

遠隔管理するコールセンターは、振替輸送実施区間外の運賃を計算し、自動精算機を遠隔操作し金額を表示させ、運賃を精算機に投入してもらうことになる。

このやり取りには非常に時間がかかる。平時であれば自動精算機が使えない旅客はほとんどないが、振替輸送実施時にはあちこちの駅でこの手動操作による精算が多発し、コールセンターの業務が追いつかなくなることがあった。

筆者の取材時も、振替輸送時に精算機に長蛇の列ができ、なかなか改札口を出られず困っている旅客を多数見てきたが、やはり手動操作による精算に手間取っている感じだった。

旅客からすれば、ただでさえ事故で遅れているのに、やっと目的地まで来たと思えば今度は改札口をなかなか出られない。二重苦から苦情も多く寄せられた。

これは、遠隔管理システムが平時だけを想定し、振替輸送時の旅客流動に全く考えが及んでいなかった愚かさが招いた結果である。

そこで、振替輸送区間を予め神戸〜京都間にしておくことにより、着駅での遠隔手動精算がなくなり、旅客も追加で現金を支払わなくて済むようになる。

これらの合理性から、主に「パターンM」はラッシュ時間帯など多くの人に影響が出る時の輸送障害時に実施されるようになった。

JR4
JRパターンM ICカード追加
向日町 窓口番号あり B社タイプ
平19年春〜24.3.16

JR5
JRパターンM ICカード追加
猪名寺 窓口番号なし B社タイプ
平19年春〜24.3.16

JR5ウラ
裏面

切符は平成19年の一斉取り替え時に印刷を担当した後発のB社印刷による券を各駅で設備していたが、次に掲載する、平成20年に開業した桂川駅と島本駅は請求時期が違うため、A社印刷券が出ている。

JR6
JRパターンM ICカード追加
A社タイプ
桂川 窓口番号あり
〜24.3.16

JR7
JRパターンM ICカード追加
A社タイプ
島本 窓口番号なし
〜24.3.16

「パターンM」の振替輸送が頻繁に行われるようになったが、直後の平成24年春の振替輸送区間見直しにより、区間が拡大されることとなり、この券は廃札となり新券に更新された。

したがって、この「パターンM」の最初の地図の券はあまり使用されないまま姿を消してしまった。


引き続き阪急運転見合せ時にJR西日本が受託した際の振替乗車票を解説していく。

今回掲載する「パターンE」は非常に珍しいもので、関西の振替乗車票が二片制の時代、約20年間を通してほんの数回しか実施されなかった。

もともと私鉄の利用者はJRに比べると短距離の利用者が多く、JRが受託する振替輸送も、不通区間だけをカバーする短距離の振替輸送が一般的だ。

しかし、この「パターンE」はまるで山陽電鉄、神戸高速、阪急神戸線の全てが止まった時を想定しているような区間だ。

JR1
JRパターンE ICカード追加
西宮 B社タイプ 窓口番号あり
平19年春〜31.3.15

JR2
JRパターンE ICカード追加
三ノ宮 B社タイプ 窓口番号なし
平19年春〜31.3.15

JR2ウラ
裏面

平成19年春までの、いわゆるスルカンのみ印刷券は一度も使用することなく返納となり、このICカードが併記された券に更新された。

その後平成20年代に入り、警察、消防の指導により私鉄も人身事故による運転見合せ時間が長くなり、積極的に振替輸送を行うようになった。

特に阪急は、JRに依頼する区間を従来より長めの区間で依頼する傾向が見られた。

この「パターンE」は、阪急神戸線の神戸方で事故があり、神戸高速、山陽電鉄にも影響が及ぶケースにだけ発動された。

長年まったく使用がなかったため、このまま幻のパターンになるかと思われたが、ようやく日の目を見た感じだった。

券は平成19年春のICカード併記化一斉取り替え時に印刷を担当したB社タイプが各駅で設備されていた。

ところが、次に掲載する元町駅にはA社タイプの券があった。

JR3
JRパターンE ICカード追加
元町 A社タイプ
〜31.3.15

これは、元町駅が神戸高速線の花隈駅と振替対応駅に追加されたのが平成24年3月1日と遅く、他の駅とは設備したタイミングが違ったからだ。

JR3ウラ
裏面

この券の裏面は神戸高速鉄道が神戸高速線となっている。これは、他のパターン同様、平成24年ごろ以降は神戸高速鉄道を神戸高速線と表記するようになったからである。

たまたま元町駅の設備がそれ以降であったため、珍しい「パターンE」の中でも特に希少な、A社タイプで裏面「神戸高速線」表記の券が生まれた。

ちなみに、この「パターンE」は山陽電鉄、神戸高速鉄道からも依頼可能だったようだが、実際には阪急が依頼したケースしかなかった。



振替乗車票「パターンL」解説の続きとなる。平成29年11月以降の追加請求に対しては全く新しい青色様式の振替乗車票が届くこととなった。この新デザインには駅係員も少なからず驚いたことだろう。

従来の様式は請求から納品まで1ヶ月以上かかっていた。そのため、在庫を使い切ってしまい他駅から融通を受けるケースも散見された。

場合によっては全く在庫がなくなってしまい、駅でカラーコピーしたものにチケッターを押印する形で交付し、急場をしのいだケースもあった。

新たに設定されたこの様式は、地紋や発行駅名の印刷を省略することで、10日以内の納品が可能となった。

また、日付押印欄が◯から_に変わっている。これはチケッターだけでなく、年月日が横並びの事務用日付印での押印も可能としたためだ。

チケッターは改札口に一丁しかないところも多く、振替乗車する旅客が行列となった場合に迅速な対応ができなかった。その改善のため、この時から事務用日付印の使用も可能とした。

ところが、この新様式の振替乗車票はなかなか姿を見せなかった。駅で取材しても、「着札でもまだ見たことがない」とのことだった。

そんな中、平成30年3月17日にJR総持寺駅が開業した。つまり新様式の納品になってからの開業だったため、JR総持寺駅のみ全パターンが新様式での設備となったのだ。

JR18
平30.3.20 JR総持寺 パターンL
末期様式のスルッとKANSAIあり
〜平31.3.15

JR18ウラ
裏面

特筆すべきは、JR総持寺駅の開業より1ヶ月以上前にあたる平成30年1月末日をもってスルッとKANSAIカードの自動改札機利用が終了し、振替輸送の対象ではなくなったにもかかわらず、この時に設備された振替乗車票にはスルッとKANSAIカードの記載が残っていたことが挙げられる。

関西の振替乗車票はこの一年後、平成31年3月15日をもって終了するが、振り返ってみると末期に様々な制度変化があり、研究上非常におもしろい変遷を遂げている。

スルッとKANSAIカードの記載がない振替乗車票は別パターンで出現しているので、その折に掲載したいと思う。

Lコピー券
【参考】請求した振替乗車票が届く前
に在庫切れとなり駅でコピーしたもの
にチケッターを押印して対応した例


引き続き、阪急京都線が運転見合せとなった際に実施された「パターンL」を解説していく。

平成28年3月26日改定の振替輸送見直しでは、区間に塚本と嵯峨嵐山が追加された。

JRの塚本は阪急の十三と振替対応駅になった。他の「パターンA」「パターンK」の区間には従来から塚本が含まれていたが、この「パターンL」では区間外だったため、大阪駅からひと駅飛び出た感じの地図となった。

JRの嵯峨嵐山は、阪急の嵐山と振替対応駅になった。この区間はもっと早くから振替輸送を行っているべきだったが、昔は路線が並行していない区間は振替輸送を行わなかったので、この時まで契約を締結していなかった。

ちなみに、嵐電(京福電鉄)とは輸送力の違いから、JR、阪急ともに振替輸送は行われていない。

JR16
JR パターンL 嵐山追加券
高槻 B社タイプ 窓口番号あり
平28.3.26〜31.3.15

たまにチケッターではなく、このように年が入るゴム印を使用しているケースがある。

JR17
JR パターンL 嵐山追加券
大阪 B社タイプ 窓口番号なし
平28.3.26〜31.3.15

「パターンA」同様、この「パターンL」も平成20年代後半以降はもっと広範囲の「パターンM」が多く実施されるようになった。

「パターンL」は昼間などの、比較的空いている時間帯の場合のみとなり、実施頻度が減少していった。

つまり、この嵯峨嵐山追加券は実施が少なくなってからの改版だったことと、振替乗車票末期の3年間だけの使用であったことから、発行枚数が比較的少ない。


阪急京都線不通時に実施された「パターンL」は京都市営地下鉄も含んだ連絡振替輸送という特殊性もあり、研究上非常に興味深い。

JRと阪急では京都の乗り入れ場所が異なり、その間を地下鉄で移動する必要があるため、JRと阪急のどちらが止まった際もこのように地下鉄を介した振替ルートとなる。

しかし、振替輸送の度に付き合わされる京都市営地下鉄はたまったものではない。振替輸送パターン化に際し、振替乗車票は受託側会社にて交付する制度になったが、京都市営地下鉄はこれを頑なに拒み、依頼側会社で交付することを条件にパターン化に参加した。

したがって、振替乗車票は京都市営地下鉄を組み入れた区間にしなければならず、JR、阪急どちらが依頼するパターンの振替乗車票も、京都市営地下鉄連絡の振替乗車票となった。

つまり、この京都の特殊性が、この区間にしか存在しない様式を生み出している。

JR10
JR パターンL スルカンのみ
茨木 A社タイプ
平11.2.26〜19年春

まず、平成19年まで使用したスルッとKANSAIのみの券を掲載した。京都市営地下鉄部分は細線で書かれており、他社線であることを強調している。

JRが止まり、阪急が受託したほうの振替乗車票は券面タイトルに「代行乗車票」も併記してあったが、その理由はJRの制度では連絡運輸を行っている私鉄が振替輸送。連絡運輸を行っていない私鉄が代行輸送と決まっているからだ。

つまり、JRが依頼する場合は、京都市営地下鉄部分が代行輸送となるため、阪急の券は「振替乗車票・代行乗車票」というタイトルになっていた。

対して、阪急の規定では、連絡運輸のありなしにかかわらず、振替輸送となっており、代行輸送とは言わない。だから阪急が依頼するケースのこの券は、京都市営地下鉄が入っていても「振替乗車票」としか表記されていないのだ。

JR10ウラ
裏面

そして、筆者が所有している振替乗車票のうち、唯一スルッとKANSAIのみの券に窓口番号が入った券がある。

JR11
JR パターンL スルカンのみ 窓口番号あり
京都 A社タイプ

この券は、ICカードが追記された券に置き換えられる半年前、平成18年10月に入手したものだ。

ひょっとしたら同じ頃に、他のパターンや他の駅でも窓口番号ありの券が出ているかもしれない。

そして他のパターン同様、平成19年春にICカードが追記された券に一斉に取り替えられた。

この時の印刷会社は新しく参入した会社だった。分類上、従来の印刷会社券をA社タイプ。新しい印刷会社券をB社タイプとする。

この時以降、窓口番号が印刷された駅のほうが多くなり、逆に窓口番号なしの駅が少なくなった。

JR12
JR パターンL ICカード追加
岸辺 B社タイプ 窓口番号あり
19年春〜28.3.25

JR13
JR パターンL ICカード追加
京都 B社タイプ 窓口番号なし
19年春〜28.3.25

この券は、京都駅発行が印刷されているが、発行印は阪急烏丸駅となっている。

JRが止まった際に受託側の京都市営地下鉄で振替乗車票を交付してもらえないことから、依頼側のJR京都駅で振替乗車票を交付していた話は、以前の425の記事「パターン.く」にてとりあげたが、正にその逆バージョンである。

阪急烏丸駅でも、受託側の京都市営地下鉄が振替乗車票の交付をしてくれないため、依頼側の自社で交付せざるを得なかった。

これはJR京都駅の苦労と同じで、残数が少なくなったら、JR京都駅に追加請求を依頼しなければならず大変な業務だった。

私鉄の振替乗車票は発行駅名が印刷されていない。それ故、一度に数万枚印刷し本社で保管しておく。各駅で持つ在庫は、パターンごとに保管定数が決められており、振替輸送をする度に減った枚数を本社に請求すると、すぐにその枚数分の振替乗車票が届き、常に一定の保管定数を在庫として持って管理していた。

ところが、JR券の場合そうはいかない。発行駅名が印刷されていることからも分かるとおり、本社では在庫を全く持っておらず、駅から追加請求が来たらその都度印刷会社に発注していた。

そのため、請求から振替乗車票の納品まで1ヶ月以上を要した。これが私鉄の感覚からすると非常に厄介だった。

当時、筆者が阪急烏丸駅に取材したところ、ある程度はJR京都駅に在庫があるようで、残券が減るとその分を京都駅の在庫から補填してもらうが、一度に多数使用すると、JR京都駅の在庫では足りなくなる。その時点からJR京都駅が追加請求を行うため、券が届くまでに多くの日数がかかることがあったようだ。

つまり、その間に在庫が無くなる懸念があるため、常にJR京都駅との間で振替乗車票の在庫の情報共有が必要であった。

JR12ウラ
裏面

裏面は、やはりICカードが追記されて以降(L)のパターン記号が追加されるようになった。


今回は阪急宝塚線が運転見合せとなった際に実施した「パターンK」について解説する。

主に宝塚〜梅田間の旅客救済を主眼としており、比較的短区間の振替輸送だ。関西の振替乗車票は区間が短いほど発行枚数が少ない傾向があるが、このパターンもそのひとつだ。

JR7
JR パターンK スルカンのみ
北新地 A社タイプ
平11.2.26〜19年春

JR7ウラ
裏面

この券も、スルッとKANSAIのみ表記時代はなかなか振替輸送が実施されず入手に苦労した。

そして、平成19年春の一斉取替により、このパターンも全駅ICカードが追記された券に更新された。

他のパターン同様、この時は新たな印刷会社の調製によるものだった。

分類上、従来の印刷会社をA社、後発の印刷会社をB社とする。

やはり窓口番号ありの駅と窓口番号なしの駅がある。

JR8
JR パターンK ICカード追加
塚口 B社タイプ 窓口番号あり
平19年春〜31.3.15

JR9
JR パターンK ICカード追加
猪名寺 B社タイプ 窓口番号なし
平19年春〜31.3.15

「パターンK」は平成21年ごろまで実施されたが、その後は、阪急宝塚線不通時には「パターンA」が実施されるようになった。

「パターンK」の振替輸送では、尼崎に阪急の駅がなく、JR宝塚線から阪急神戸線に乗り換え不可能なため、大阪駅まで遠回りしなければならないケースがあり、その旅客救済のためだった。

例:川西能勢口→十三→神戸三宮の旅客

この場合、JR川西池田→大阪/阪急梅田→神戸三宮という遠回りな経路で行くしかなかったが、振替輸送区間にJR神戸線が含まれることによってJR川西池田→尼崎→三ノ宮という振替乗車が可能となった。逆も然り。

したがって、今回掲載した「パターンK」は、いずれの券も実施回数が数回のみだったため、あまり現存しておらず、大変珍しい券となった。

ちなみに、「パターンK」は実施されなくなったものの、パターン自体は最後の平成31年まで残してあった。

おそらく、JR神戸線にも輸送障害が発生していて、「パターンA」の振替輸送ができない時のために残してあったのではないかと推測する。


JRの振替乗車票「パターンA」の続きを解説していく。

平成24年3月17日に振替輸送範囲の見直しが行われ、西側が神戸駅から新長田駅に拡大された。

これは、平成22年10月1日から神戸高速鉄道の営業を実質的に阪急、阪神、神戸電鉄の3社が行うこととなり、神戸高速鉄道株式会社は直接の営業から退き、資産を保有するだけの会社となった。

神戸高速鉄道株式会社との運賃精算がなくなったことから、このタイミングで振替輸送区間を見直しした。

JRが依頼し、私鉄が受託する際の振替区間は、山陽電鉄との境界にあたる西代まで延長した。(阪急「パターンた」など)

振替輸送は相互に同じ区間を決めて契約する慣例から、JRが受託する際の振替輸送区間も、西側を西代駅との振替対応駅にあたる新長田駅まで拡大することとなり、全駅新券に取り替えられた。

JR4
JRパターンA 新長田追加
元町 窓口番号あり A社タイプ
平24.3.17〜31.3.15

この一斉取替時の印刷はA社が担当したと見え、どの駅もA社タイプの券であった。

JR4ウラ
裏面

裏面は、神戸高速鉄道株式会社が鉄道の運営会社ではなくなったことから、「神戸高速鉄道」という表記をやめ、「神戸高速線」と、路線愛称名を記載している。

神戸高速線は阪急、阪神、神戸電鉄が運営するようになったものの、運賃制度はそのまま残っている。

そのため、別路線であることを強調する目的から、旅客に対し「神戸高速線」という路線愛称名をよく使っている。振替乗車票にもそれを引用した感じだ。

JR5
JRパターンA 摩耶 A社タイプ
〜平31.3.15
裏面に違いあり

平成28年3月26日に開業した摩耶駅の券は、同じA社タイプではあるが、裏面に違いが見られた。

JR5ウラ
裏面

ついに「神戸高速線」も削除され阪急電鉄だけとなったのだ。

また、最初のロットを使い切って追加請求した駅では、B社タイプの券も出現している。

JR6
JRパターンA 摂津本山 B社タイプ
〜平31.3.15

平成20年代後半に入ると、阪急神戸線の振替輸送は、もっと広範囲の「パターンM」が依頼されるようになった。

その後この「パターンA」は昼間時間帯など比較的乗車率の低い時間帯にのみ実施されるようになり、使用頻度が減ってしまった。

様式としては、その後平成29年11月以降の増刷分から青色の末期様式券となるが、「パターンA」はどの駅もなかなか末期様式券が出てこず、そのまま平成31年3月15日をもって振替乗車票の使用が終了した。おそらく末期様式券を使用した駅はなかったのではないかと思われる。


今回からJR西日本の阪急運転見合せ時に発行された振替乗車票を解説していく。

最初に掲載したのは、阪急神戸線が運転見合せとなった際に実施された「パターンA」だ。

私鉄各社のパターンが「パターンあ」など平仮名を使用しているのに対して、JRではこのようにローマ字を使用していた。

JR1
JR パターンA スルカンのみ
加島 A社タイプ
平11.2.26〜19年春

総体的に、私鉄は平成10年代ごろまで運転見合せが少なかった。人身事故でもだいたい15分程度で運転再開させることが多く、振替輸送実施には消極的だった。

したがって、ICカードが追記される前の、このスルッとKANSAIカード表記しかない券はどのパターンも発行枚数が比較的少ない。

JR1ウラ
裏面

裏面の依頼側会社名は阪急電鉄と神戸高速鉄道の二社が表記されている。これは、高速神戸〜三宮間が阪急ではなく神戸高速鉄道にあたるからだ。

そしてICカード乗車券が普及してきたことを受け、JR西日本では平成19年の春に各駅に設備する振替乗車票を順次新券に取り替えた。

この時に印刷された券は、従来のものと明らかに印刷会社が異なる券だった。この会社の券は地紋の色が少し淡くピンク色に近い点と、券番の書体が少し面長な特徴がある。

筆者は分類上、従来の会社の券をA社タイプ、平成19年から加わった会社をB社タイプと分類している。

そして、発行駅名欄に窓口番号が入る駅が出現した。全ての駅で窓口番号が入った訳ではなく、従来どおり窓口番号なしの駅もあった。印象としては、窓口番号ありの駅のほうが多いように感じる。

JR2
JRパターンA ICカード追加
大阪 B社タイプ 窓口番号あり
平19年春〜24.3.16

JR3
JRパターンA ICカード追加
さくら夙川 B社タイプ 窓口番号なし
平19年春〜24.3.16

裏面にもパターン記号が入るようになった。これは印刷会社に発注する際に表と裏の組み合わせミスを防ぐ目的と思われる。

JR2ウラ
裏面

平成20年代に入り、全国的に警察、消防の指導が厳しくなり、人身事故の際は私鉄も一時間以上運転を見合わせることが多くなった。

そのため、このJR様式が使われる振替輸送実施は増加したが、その分各社局においてもさらに振替輸送に注力することとなり。振替輸送区間や対応駅の追加が相次ぎ、関西の振替乗車票は平成20年代に入り券面がどんどん更新されていくことになる。


今回「パターン.き」と「パターン.あ」を一緒に掲載した。理由は後にパターンが統合される大変珍しいケースだからだ。

元来の用途(不通区間)は下記のとおり
パターン.き…JR宝塚線
パターン.あ…JR神戸線(神戸〜大阪のみ)


阪急き
阪急 パターン.き (この券のみで廃止)
平11.2.26〜20年夏

まず最初に「パターン.き」から解説する。このパターンはJR宝塚線で事故があり、JR神戸線+京都線は運転している時に実施するパターンだ。

主な振替区間は阪急梅田〜宝塚間で、ほとんどの旅客が阪急宝塚線の乗車と言っていい。

強いて言えば、伊丹駅は阪急の最寄り駅が宝塚線になく、別の伊丹線となるのでその部分が入っている。

範囲の西側は、高速神戸まで要らないようにも思えるが、これは阪急に尼崎駅がないため、尼崎で阪急に乗り換えができないからだ。

神戸方面から尼崎経由で宝塚への旅客は、西宮北口から阪急今津線を利用し宝塚という振替ルートとなるが、JRで西宮まで行っても、阪急西宮北口が離れていてここも乗り換えができない。

JRと阪急が乗り換え可能なのは、もっと手前の三ノ宮か神戸しかないのだ。逆も然り。

そこで、高速神戸から(まで)振替輸送区間に入れておくことで、神戸方面と宝塚方面の振替ルートを確保している。

ここはパターン化に際し、しっかりと検討がされており、評価に値する。

阪急あ1
阪急 パターン.あ Jスルーのみ
(JR宝塚線不通時に使用していない時代)
平11.2.26〜20年夏

続いて「パターン.あ」を掲載する。このパターンの振替区間はJR神戸線の神戸〜大阪間のみが不通となり、その前後は動いているため振替を依頼しない想定となっている。

しかし、事故が起きれば当然ながら全て同時に止まるため、実際にはもっと広範囲に影響が出る。

ではなぜこんな区間を想定してパターン化したのか?

そもそも会社間の振替輸送契約は、「困った時はお互いさま」という考えのもと、不公平にならないよう並行する区間をいくつかのブロックに分けて相互に契約しましょう。という前提で行われる。

つまりこの区間は阪急神戸線が止まった時にJRに依頼する区間の反対版なのだ。

JRは長距離列車が多いが、私鉄は短区間で運転系統が分かれている。阪急の場合、主に京都線、神戸線、宝塚線の三つの運転系統があり、基本的に他の路線にまたがる列車はない。

即ち、阪急神戸線で事故が発生した場合はその路線だけが止まって、他の路線には全く影響がない。

だから阪急では、JRへの振替輸送区間を「阪急京都線のみのパターン」、「阪急神戸線のみのパターン」、「阪急宝塚線のみのパターン」と三つに分けて契約した。

ところがJRは京都線と神戸線はひとつの運転系統であるため、基本的にそのどちらか一方だけが止まるということはない。

それは承知の上で、会社間相互に同じ範囲の振替輸送契約を締結しなければならなかったので、このような不思議なパターンが設定されたのだ。

前回とりあげた「パターン.く」もJR京都線だけが不通となったことを想定している不思議なパターンだが、契約の成り立ちは同じで、阪急京都線だけが不通となったパターンの反対版を、契約上の流れで作ったものだ。

阪急あ2
阪急 パターン.あ
阪急宝塚線十三〜川西能勢口
ICカード追加券
「パターン.き」を統合!
平20年夏~24.3.16

そして、平成20年にJR神戸線不通時のパターンは全て阪急宝塚線の十三〜川西能勢口間を追加することとなった。

「パターン.あ」にこの区間を追加したら…なんと「パターン.き」と同じ区間になってしまったではないか〜!という訳で「パターン.き」はこの時に廃止され、「パターン.あ」がJR宝塚線の振替輸送も兼ねることになった。

無論、これはそもそも分けてあったことが愚かだった。パターン化する際にもっとよく検討しておくべきだった。

従来からの契約をそのまま当てはめ、阪急と同じようにJRも京都線、神戸線、宝塚線を分けて振替輸送の依頼をしなければならないという理論のままパターン化してしまったと考えられる。

阪急あ3
阪急 パターン.け
阪神国道+神戸三宮改称反映券
平25.12.20〜30.3.16

そして次の改版は、平成24年の阪神国道駅追加となるが、筆者はこの券は未入手に終わっている。掲載した写真はその次の改版、平成25年の阪急三宮の阪急神戸三宮改称も反映した券だ。

そして、最後の改版となるのが平成30年の今津追加だが、この券も一年間しかなかったため、筆者は未入手に終わっている。

「パターン.あ」はJR宝塚線の振替を兼ねるようになってからは、そっちの用途で実施されることが多かったが、JR宝塚線が運転見合せとなるケースが意外と少なく、うかうかしてる間に未入手のままとなった。振り返ってみると、あの頃は振替コレクターにとってはとても忙しい時代だった。


引き続き阪急の振替乗車票を解説していく。今回のパターンはJR京都線のみ輸送障害が発生している際に実施された「パターン.く」だ。

JR京都線のみと言っても、JR京都線で事故が発生した時はたいていJR神戸線も止まるため、阪急神戸線も含めた別パターンの振替輸送となる。

阪急に対して京都線のみの振替輸送を依頼するのは、京都以東となるJR琵琶湖線で事故が発生し、影響がJR京都線にも及ぶケースだ。

実施頻度は少なく、筆者も入手に苦労した。関西の振替乗車票は区間が短いパターンはど入手困難な傾向がある。

京都市営地下鉄が区間に含まれるため、タイトルに「代行乗車票」もしっかり併記されている。

阪急く1
阪急 パターン.く Jスルーのみ
平11.2.26〜

関西の振替乗車票はパターン化以降、基本的に受託側会社が交付することとなっていた。しかし京都市営地下鉄はこれに賛同せず、「依頼側会社で交付するべき」との姿勢を一貫して崩さなかった。

そのため、JR京都駅ではこのように阪急の振替乗車票を預かっており、JRのチケッター(日付印)を押印して交付していた。

これは他のパターンでも同じで、阪急京都線が入る振替乗車票は全種類JR京都駅で保管していた。筆者の取材に対しJR京都駅の担当者は、「阪急の振替は管理が非常に難しい。」と胸の内を明かしてくれた。

JRの振替乗車票は全て券番が入っており、券番どおりに発行する。つまり残存初番号が券簿に控えてあるため、振替輸送終了後に残券の券番を確認して当初の番号から差し引きすれば、今回何枚発行したかすぐに分かり、輸送指令に発行枚数を報告しやすいのだ。

ところが、阪急の振替乗車票には券番がない。JRの感覚からするとこれが非常にやっかいなのだ。

発行枚数の把握方法は、例えば100枚ごとに帯封を付けて保管しておき、100枚発行し終えたら帯封だけが残る。この帯封を捨てないで残しておき、次の束の帯封を開ける。

振替輸送終了後に残った帯封が三つあれば、それだけで300枚減っていることになる。いま帯封を解いて配っている途中の束の残数が20枚あれば、そこで80枚減っているので、合計380枚発行したことになる。

私鉄の振替乗車票は券番がない社局が多く、各駅このようにして発行枚数を把握して報告していた。

しかし、乗車券類を全て券番で管理しているJRは、これに慣れていなかった。100枚配りきった後の帯封などただのゴミであり、ゴミ箱に捨ててしまう。うっかりすると本当に何枚発行したのか分からなくなるのだ。

JR京都駅では、在庫が減ったら阪急に請求しなければならないなど、担当者の業務は大変苦労がともなった。

阪急く2
阪急 パターン.く ICカードに変化
〜平28.3.25

平成25年(2013年)に入手したこの券は、JスルーがICカードに変化した新券に更新されていた。

「パターン.く」はそれまで区間の追加がなかったので、更新されていないかと思っていたが、いつの間にか更新されていた感じだ。

他のパターンの券は、ICカード表記のみとなる時代は、烏丸と河原町が地図上で別々となっているが、「パターン.く」はこの時期でも従来どおり「烏丸・河原町」という書き方のままだった。

阪急く3
阪急 パターン.く 嵐山追加券
平28.3.26〜31.3.15

そして、他のパターン同様、平成28年にJR嵯峨嵐山と阪急嵐山が振替対応駅になり、「パターン.く」にも嵐山線が追加された。

この時以降、「パターン.く」はJR嵯峨野線不通時にも実施されるようになり、実施頻度は少しだけ増えた。

烏丸と河原町の書き方はこの時から分かれて書かれるようになった。


「パターン.た」の振替輸送はJR神戸線+京都線+宝塚線に輸送障害が発生した際のパターンであった。

421の記事でも触れたが、神戸線+京都線の「パターン.け」には、当時阪急宝塚線の十三〜川西能勢口間が含まれていなかった。

しかし、JR神戸線+京都線が止まると、実際にはJR宝塚線もまともな運行はできなくなる。そんな時にJR京都線から宝塚方面への旅客は、十三での宝塚方面乗り換えができないため不便を強いられた。

例えば、高槻から川西池田に行く場合、阪急高槻市→十三→川西能勢口となるが、「パターン.け」では十三→川西能勢口が乗車できないため、十三→西宮北口→宝塚→川西能勢口という考えられない大回りでしか振替乗車できなかった。

仕方がないので阪急梅田で下車し、大阪駅でJR宝塚線の列車が動くのを待つか、北新地駅まで徒歩で移動し、JR東西線から宝塚線へ直通運転する列車に乗るしかなかった。

当然ながら、振替輸送をやる度にJR大阪駅にこの苦情が殺到した。JR大阪駅はこの状況を上部機関に報告。今回掲載する「パターン.た」には阪急宝塚線十三〜川西能勢口間が含まれているため、このパターンを実施するよう上部機関に迫った。

しかし、「パターン.た」は西側が高速神戸までとなっており、神戸以西の旅客救済ができないという欠点があった。

基本的に、一回の振替輸送で区間が重複する二つのパターンを実施することが協定上できないため、「パターン.け」と「パターン.た」のどちらかしか実施できなかった。

そのため、振替輸送を依頼するJR西日本の運転指令所は毎回どちらのパターンを実施すべきか判断に困った。

421の記事でも触れたが、これは会社間の振替輸送契約を締結する際に「パターン.け」に十三〜川西能勢口間を入れていなかった痛恨のミスである。

そのような事情から、この「パターン.た」はJR神戸線+京都線での輸送障害で、比較的JR宝塚線にも影響が多く出るケースに実施された。

ただし、前述のとおりこのパターンでは神戸以西の旅客救済ができないため、「パターン.た」実施時には神戸以西の駅には旅客からの苦情が殺到した。

ちなみにJR宝塚線で事故があった場合は、別のパターン「パターン.き」の振替輸送であった。


阪急た1
阪急 パターン.た Jスルーのみ
平11.2.26〜24.3.16

不適切な状況が長年続いたが、平成20年の春にJR西日本と阪急の間で振替輸送区間の見直しが行われ、「パターン.け」に阪急宝塚線の十三〜川西能勢口間が追加された。

そのため、JR神戸線+京都線での輸送障害時には「パターン.け」が主に実施されるようになり、この「パターン.た」の振替輸送は実施が極端に減った。

以降「パターン.た」が実施されたケースは、主に山陽電鉄が振替輸送の受託を拒否した時となった。早朝のラッシュ時間帯等の輸送障害時に、山陽電鉄が振替輸送受託を拒否することがある。JRと山陽では輸送力に大きな差があり、JRからの振替旅客で山陽の輸送力がパンクするからだ。

しかし、通勤旅客は振替旅客の有無にかかわらず出勤しなければならず、結局山陽電鉄の切符を買って乗車せざるを得ない。

結果、山陽電鉄の輸送力がパンクすることは避けられず、振替輸送を拒否する意味がない。

振替輸送では一人あたりの運賃収入が少ないが、切符を買ってくれると一人ずつの運賃収入が入る。振替輸送を拒否すればJRの定期券を持っている旅客も山陽電鉄の切符を買って乗車してくれるため、増収目的の振替輸送拒否と言っていい。

これは、関西の振替輸送が受託側主導で行われるようになった弊害である。

阪急た2
阪急 パターン.た 西代+阪神国道追加券
平24.3.17〜25.12.20

平成24年春の改版では、421の記事でも解説したとおり阪神国道駅が追加となっている。また特筆すべきは、西側が高速神戸から西代に変更された点が挙げられる。

これは平成22年10月1日から神戸高速鉄道の営業を実質的に阪急、阪神、神戸電鉄の3社が行うこととなり、神戸高速鉄道株式会社は直接の営業から撤退し、資産を保有するだけの会社となったからだ。

神戸高速鉄道株式会社との運賃精算がなくなったことから、振替輸送区間を見直し、山陽電鉄との境界にあたる西代まで区間に追加したのだ。

また、対象となるカードはJスルーからICカードとなり、赤刷り部分が変更されている。

烏丸と河原町も適切な書き方に修正された。


阪急た3
阪急 パターン.た 阪急神戸三宮改称券
平25.12.21〜28.3.25

その次の改版は、平成25年12月21日に行われた阪急三宮の阪急神戸三宮改称だ。

阪急た4
阪急 パターン.た 嵐山追加券
平28.3.26〜30.3.16

そして平成28年にはこのように嵐山が追加される。

阪急た5
阪急 パターン.た 今津追加券
平30.3.17〜31.3.15

そして最後の改版は平成30年の今津の追加で、一年後に振替乗車票の交付は終了となった。


引き続き阪急の振替乗車票を解説していく。今回は「パターン.え」だ。

このパターンは前回掲載した姫路〜京都間の「パターン.け」から、梅田以東(阪急京都線部分)を削った区間である。

区間に京都市営地下鉄も含まれないため、タイトルから「代行乗車票」も削ってある。

このパターンはめったに実施されなかった。実施されたケースは、事故発生場所が神戸以西で、かつ比較的乗車率の低い昼間時間帯の輸送障害時に実施された。

ちなみに事故発生場所が西明石以西の場合は、姫路〜三宮間の振替輸送となることが多く、この「パターン.え」の必要性は低かった。

しかしある時、JR神戸線+京都線不通時に、JRが「パターン.け」を依頼したが、同時に阪急京都線でも輸送障害が発生し、振替輸送の受託がここだけできなかった。

その際にもこの「パターン.え」が実施され、このパターンの必要性を再認識させられた。

阪急え1
阪急 パターン.え Jスルーのみ
平11.2.26〜20年夏

このパターンも基本的な変遷は「パターン.け」と同じである。平成20年夏に阪急宝塚線十三〜川西能勢口間が追加となり、改版されている。

阪急え2
阪急 パターン.え
阪急宝塚線十三〜川西能勢口
ICカード追加券
平20年夏~24.3.16

そして次の改版は平成24年3月17日の阪神国道追加券となるが、次の改版までの期間が短く、この間に「パターン.え」の振替輸送受託が一度もなかったため、この券は日の目を見ずに廃札となっている。

下に掲載したのはその次の改版、平成25年12月21日、阪急三宮の阪急神戸三宮改称も反映した券だ。

阪急え3
阪急 パターン.え 阪急神戸三宮改称券
平25.12.21〜30.3.16

対象となるカードはJスルーカードがなくなり、ICカードに変わったため、赤刷り部分が変更されている。

なお、このパターンは阪急京都線方面がないため、「パターン.け」で触れた嵐山の追加は関係なかった。その後の改版は、最後の改版となる今津追加である。

阪急え4
阪急 パターン.え 今津追加券
平30.3.17〜31.3.15

「パターン.え」は実施回数が少なく、筆者も入手に大変苦労した。

関西の振替乗車票はこのように一度しか使用されなかったり、一度も使用せずに更新される券がいくつもあった。


タイトルは後期と付けたが、末期と言ってもいい。最後の5年間のことだ。しかし、この間は改版が多く、なんと三つの券が出ている。

前回解説した阪神国道追加による改版から1年9か月後の平成25年12月21日、阪急三宮駅が阪急神戸三宮に駅名改称したため、振替乗車票も新券に取り替えられた。

阪急け4
阪急 パターン.け 阪急神戸三宮改称券
平25.12.21〜28.3.25

平成28年春の振替輸送の区間見直しでは阪急嵐山駅とJR嵯峨嵐山駅が振替対応駅として追加された。これにより、振替乗車票に阪急嵐山線桂〜嵐山間が追加された。

阪急け5
阪急 パターン.け 嵐山追加券
平28.3.26〜30.3.16

そして最後の改版となるのが平成30年春の振替輸送区間の見直しで追加された。今津線阪神国道〜今津間だ。

今津は阪神との接続駅で、JR神戸線不通時は、基本的に阪急だけでなく阪神も振替を受託しているが、従来の阪急の振替輸送区間は阪神国道までであったため、たったひと駅、阪神国道〜今津間が区間外であるがために、今津で阪急と阪神相互間の乗り継ぎができなかった。

考えてみたらなんと不便なことだったか。ここが繋がったため、やっとまともな振替輸送区間となった。

首都圏の感覚からすれば、関西のパターン化当初の振替輸送範囲はあまりにも大雑把すぎた。

旅客流動が多い区間だけを考えていたり、路線が並行している区間だけを捉えていた。

しかし、実際には様々な旅客流動がある。関西の振替は長い年月の末、旅客の声が少しずつ反映された結果、適切な振替輸送区間となっていった。

阪急け6
阪急 パターン.け 今津追加券
平30.3.17〜31.3.15

そして、平成31年3月15日をもって振替乗車票の交付が終了し、翌日以降は振替乗車票を交付しない制度に改められた。そのため、最後の今津追加券はたった一年間だけの使用にとどまった。

従来は、振替乗車を開始する駅で定期券以外の乗車券は回収し(振替輸送区間外へまたがる切符は回収しない)振替乗車票を交付していたため、例えば京都からひと駅の切符(京都〜西大路)で山陽姫路まで乗車できてしまっていた。

新制度では、振替乗車を開始する駅では切符を回収せずそのまま旅客に持たせ、下車駅で回収する制度(首都圏と同じ制度)に改められた。そのため、券面区間外の乗車はできなくなった。

次回以降の記事では、他のパターンについて解説していく。


いよいよパターン化後の券に迫っていく。まずJRから受託するパターンが複数あるため、パターンごとに変遷を解説する。最初に最も多く実施された「パターン.け」から掲載した。

「パターン.け」はJRの神戸線+京都線にまたがって影響が出ている場合に実施された。だいたい明石〜京都間のどこかで事故が起こると、このパターンだった。

阪急だけでなく、神戸高速、山陽電鉄、京都市営地下鉄の4社にまたがるかなり長距離の振替輸送である。

振替輸送開始時にパターンを決めて、その振替乗車票を全ての旅客に交付するため、短距離の旅客に対しても、この長距離の振替乗車票を交付していた。

タイトルに「代行乗車票」も併記されているのは、京都市営地下鉄がJRと連絡運輸を結んでいないため、そこだけ振替輸送とはならず代行輸送になるからだ。

区間のうち京都市営地下鉄だけ改札外乗り換えとなるため、1枚の振替乗車票にまとめる必要がなさそうに思えるが、これには理由があった。

京都市営地下鉄は昔から、振替乗車票は依頼側会社で交付するもの。というスタンスを貫いてきた。

そのため京都駅では、JRが依頼する場合、自社の改札口でこの券を交付し、在庫が少なくなったらその都度阪急に請求して設備していた。

では逆の場合を考えよう。例えば、姫路〜京都の旅客が、振替輸送として山陽姫路から京都へ乗車するとしよう。

この券に京都市営地下鉄がなかったら、阪急烏丸で出場時に回収となってしまい、地下鉄に乗ろうとしても、振替乗車票がないため乗車できない。

つまりJR京都駅の社員が地下鉄に乗って四条駅まで配布に行かなくてはならない。それができないので振替乗車票を一体化しているのだ。

阪急け1
阪急 パターン.け Jスルーのみ
平11.2.26〜20年夏

阪急ウラ1
裏面

この券が平成11年のパターン化最初の券だ。対象となるカードは当時Jスルーカードのみであったため、ICカードの表記はない。

なお、関西の振替乗車票は、この大型券を全ての旅客に対して交付していた。即ちJスルーカードの旅客以外は、お客様控片は不要であり、下車駅では切り取る必要がなくまるごと切符を渡すことになるが、全ての旅客にこの2片制の振替乗車票を交付していた。

裏面の案内文は運賃の精算を赤色で強調している。

阪急け2
阪急 パターン.け
十三〜川西能勢口 ICカード追加券
平20年夏〜24.3.16

平成15年にJR西日本がICカード(ICOCA)を導入し、本来ならその際に改版しなければならなかったが、基本的にどの社局も改版せず、磁気式カードの案内のみが書かれた券を使い続けた。

この結果「パターン.け」は最初の券が最も長く使用されたが、その後は区間の拡大や駅名改称により比較的短期間で次々と新たな券に更新されている。

最初の改版は掲載した平成20年の改版だ。この年の春のダイヤ改正前にJR西日本と阪急の間で行われた協議で宝塚線十三〜川西能勢口間を振替輸送の対象にしたい旨がJRから示された。

どういうことか分かりやすく解説する。JR宝塚線が不通となった際のパターン「パターン.き」では最初から同区間は振替輸送に含まれていた。

しかし、神戸線が不通となった際のこのパターンには含まれていなかった。そのため、京都方面から川西池田への旅客は阪急京都線から十三乗り換えで宝塚線に乗車することができず、いったん阪急神戸線に乗車し、西宮北口で今津線に乗り換え、宝塚で宝塚線に乗り換えて川西能勢口という大変な大回りルートで行かなければならなかった。逆の乗車も然り。

無論これはJRと阪急の振替輸送契約がおかしかった。この件は筆者も以前からJRの担当部署に問い合わせを入れていたが、「パターン化前の契約から同区間が含まれておらず、そのままパターン化してしまったので、このようなことになってしまっている。」とのことであった。

阪急の担当部署は、同区間が区間外なのはおかしいと認めた上で、「実際は十三〜川西能勢口間を勝手に振替乗車される方もいるが黙認している。」とのことであった。

しかし、長年にわたり利用者からの問い合わせも止まず、平成20年春のダイヤ改正直前の協議でJR側から同区間を振替輸送区間として正式に旅客への案内に追加したい旨が示され、阪急も快諾した。

しかし、振替乗車票の改版はダイヤ改正に間に合わず、平成20年夏ごろから改版された券が使われ始めた。

振替輸送対象となるカード式乗車票は、平成15年11月にICカードが追加され平成21年3月にJスルーが終了してしまうことから、振替乗車票にJスルーとICカードが併記される期間は5年強しかなかった。

「パターン.け」のこの時の改版がちょうどこの間だったことからJスルーとICが併記される契機となった。

阪急ウラ2
裏面

裏面もICカードが追記されているほか、JR西日本に再度乗車する場合は申し出る旨の案内が追加されている。

振替輸送と自線内の迂回乗車(他経路乗車)を組み合わせた乗車のことだ。

阪急け3
阪急 パターン.け 阪神国道追加券
平24.3.17〜25.12.20

次の改版はJR西宮に対して阪急の阪神国道が振替対応駅に追加されたことによる改版だった。

関西人の間でも「阪急の阪神国道駅とは阪急か阪神かどっちやねん!?」とよく言われるが、これは阪神国道(国道2号線)の近くにある阪急の駅だ。

実はJR西宮駅に最も近い阪急の駅はこの阪神国道駅だ。昔から振替輸送区間に阪神国道が入っていないこと自体がおかしな話だった。やはり旅客からの要望が多く、この時ようやく振替輸送区間に追加された。

また、この時に初めて路線図の烏丸と河原町が分かれて書かれ、適切な表記となった。

以前の路線図では、「烏丸・河原町」とまるで一つの駅のような書かれ方だった。ほとんどの旅客は河原町までは行かず、烏丸から京都市営地下鉄(こちらの駅名は四条)に乗り換えて京都駅へ行くが、烏丸と河原町どちらが接続駅なのか分からない書き方だった。

阪急ウラ3
裏面

この改版時はすでにJスルーカードが終了していたため、券面から削除されたものが初めて出現することとなった。裏面の案内からもJスルーは削除されている。


前回に続いて小型券時代の阪急の振替乗車票を掲載する。

どういう使い分けか詳細が分からないが、緑地紋の券が出ている。この様式は御影駅が区間に入っているものが多いように思う。

また、片方の駅名を黒のマジックペンで消してある券もある。ひょっとしたら阪神淡路大震災の時に使用されたのかもしれない。

阪急小4
阪急 小型 振替乗車票 緑地紋券

私鉄から受託したケースでは、次のように地紋がない白色無地の券も使われていた。

阪急小5
阪急 小型 振替乗車票 梅田-天神橋六

「天神橋六」は天神橋筋六丁目のことだ。関西では省略して天六(てんろく)と呼ばれている。

区間からして、大阪市営地下鉄が運転見合せ時に使用したものと考えられる。

しかし、天六へは堺筋線と谷町線の2線のアクセスがあり、片方が止まっていても、もう片方で行くことができる。

逆に、堺筋線が止まっていたら、阪急千里線も止まるため、物理的にこの区間を振替輸送するのは難しい。

したがって、この振替は、阪急京都線への連絡旅客が主な対象だったと思われる。

例:堺筋本町〜高槻市の旅客

この場合、地下鉄堺筋線が止まっていたら、地下鉄を自線内迂回乗車で梅田へ出て阪急利用が振替ルートとなる。

阪急の梅田〜淡路間が券面区間外のため振替輸送となり、阪急梅田駅でこの券の交付を受ける。

しかし逆の場合は振替乗車票無所持となる。高槻市から堺筋本町に向かうには淡路で千里線に乗り換えだが、千里線も止まっている。そこでそのまま梅田へ乗車し、梅田から地下鉄の自線内迂回乗車となる。

したがって、この券は天神橋筋六丁目では交付することがなかったと思われる。

阪急小6
阪急 小型 振替乗車票 梅田-北千里

この券は北大阪急行+大阪市営地下鉄御堂筋線の運転見合せ時に使用したと思われる。

日付印を見ると、阪神淡路大震災の発生翌日だ。下部には「振替」とある。このように振替乗車票に押印するための専用の日付印があったことに驚く。


今回から阪急の振替乗車票を連載していく。まず振替輸送の制度がパターン化する前、小型時代の券から掲載する。

一般的に使われていたのは黄色の券で、JRが運転見合せ時に交付していたのは基本的にこの様式だった。

日付印を押印していないケースが多く、研究上重要な発行年が分かりにくいが、地紋によってある程度絞り込むことができる。

地紋に使用されているマークは、ローマ字のhをデザイン化したコーポレートマークで、平成4年9月に制定されている。したがって、このhマーク地紋の券はそれ以降の発行と断定できる。

ちなみに、それ以前の券は旧地紋で、社名が「阪急電鉄」ではなく「阪急電車」、下部の案内文が「改札機」ではなく「改集札機」となっている。

阪急小1
阪急 小型 振替乗車票 常備式

区間が双方印刷された常備式が最も多かった。区間はかなりの種類があったと思われる。

阪急小2
阪急 小型 振替乗車票 着駅補充式

このように発駅のみ印刷され、着駅を押印する様式もあった。おそらくある程度作り置きして用意していたものと思われる。

阪急小3
阪急 小型 振替乗車票 発着駅補充式

このように発着駅ともに空欄の様式もあった。

いずれの券も、下部の「改札機に入れないでください」のみ背景を黒くし、文字を白抜きとすることで視認性を高めている。



前回の記事の続きとなる。

平成11年に新制度に改められパターン化された関西の振替輸送。検討に検討を重ねた上での導入だったが、実際に運用を開始すると次々と不都合が起こった。

まず、振替乗車票の交付を受託側会社が行うこととなり、主導権を受託側会社が持つようになった。

首都圏の振替輸送では事故発生後すぐに振替輸送が開始される。振替乗車票が必要だった時代も、すぐに依頼側会社で振替乗車票の交付が始まった。

受託側会社は旅客が振替乗車票を持って次々とやってくるが、有人改札を通すだけで済むため、受託を拒否するケースは基本的にない。

しかし、振替乗車票の交付を受託側がするようになった関西では、JRが事故発生直後に私鉄へ振替輸送を依頼しても、私鉄側が拒否するケースが出てきた。JRから私鉄への振替が圧倒的に多かったからだ。

私鉄は、むかし人身事故の復旧が非常に早かった。短ければ15分程度で運転再開していた。折り返し運転も手際がよく、事故現場以外はうまく折り返し運転するなどし、振替輸送は極力案内しなかった。

対して、JRは社内規定が厳しいため人身事故が起きれば1時間程度は運転見合せとなり、折り返し運転もほとんどできなかったため、影響が路線全体に広がる傾向があった。

新制度では、依頼側会社は事故が発生し大変なので、振替乗車票の交付は受託側会社で行い、負担を分散することとなっていた。

しかし蓋を開けてみれば、毎回受託側の私鉄がJRの事故のために忙殺される事態となった。

私鉄側はJRより自動改札機の導入が早く、各駅の係員の人数が少なかったことも大きい。

ことに新快速がある京都〜姫路間は、元々私鉄よりJRの輸送力が強かった。その旅客が一斉に来ても振替乗車票を交付する人員は到底足りなかった。

そのため、JRが振替輸送を依頼しても、私鉄がすぐの受託を拒否し、開始は30分後から等とするケースが増えた。

私鉄側のターミナル駅は、その間に休憩中の要員を戻したり、他駅から応援を呼んだりして備えた。

また、これはJRが受託した際も同様だったが、係員が普段全く目にすることがない他社の切符を見て、振替輸送として有効かどうかを判断しなければならず、余計に大変だった。

今のように時間帯で会社間の精算金額を決めて行う振替輸送とは違い、振替乗車票を1枚発行する度にいくらという時代。振替乗車票の交付は今より慎重だった。

例えば、JR券で大阪市内発着の切符を見せられても、私鉄の係員は範囲がよく分からない。また、途中下車制度などJR独自の制度は私鉄の係員にはさっぱり分からなかった。

逆にJRでは私鉄の制度についていけなく困っていた。例えばJRの回数券は区間式だったが、私鉄の回数カードは金額式で、区間も決まっていない。大阪市営地下鉄の回数カードは回数券でありながら回数も決まっておらず、いわゆるバスカードの制度だ。そんな切符を見せられても判断に困った。

これらの事情から、受託側会社の振替乗車票交付は大変苦労が伴った。さらに、受託側会社は振替輸送の旅客は自社のお客ではないため、総体的に対応が厳しい傾向があった。

例えば、その駅発の乗車券や回数券を持っている旅客が改札入場前(旅行開始前)に運転見合せとなった場合。依頼側改札ではたいてい振替輸送可能と案内していた。

払い戻し業務を少しでも減らしたいため、旅客が持っている切符を使ってもらいたいところだ。また、自社の都合で乗れないため、申し訳なさから、なるべく旅客の都合がいいように取り扱う傾向が強い。

しかし制度上、乗車券、回数券は改札入場後(旅行開始後)しか振替輸送の対象にならず、受託側改札で断られるケースが相次いだ。振替輸送できると聞いて来たのにできないと言われ、旅客は運転見合せとともに二重苦となった。

カード式乗車券の場合もトラブルが多かった。カード式乗車券は入場時刻が印字される。この入場時刻が事故発生前であれば振替輸送の対象となるが、入場時刻が事故発生後なら振替輸送の対象とはならない。

事故が発生しその駅から発車する列車が完全に止まっている場合は、自動改札機の電源を切るため、入場することができない。しかし、途中まで動いている場合や乗り換え駅などは自動改札機の電源は入っており入場できてしまう。

そんな入場した旅客に対して、依頼側改札では事故発生後に入場した旅客も振替輸送可能として案内してしまうのだ。

実際、接続駅では入場が事故発生前の人と後の人が混在する。例えば、大阪駅で東海道本線が事故で止まっている場合、環状線は動いているため自動改札機は止めることができない。よって事故発生後も入場できてしまう。

事故発生後に入場した場合は振替輸送の対象ではないため、本来はJスルーカードの入場記録を取消処理し、振替輸送の対象にならない旨の案内をしなければならない。

しかし、その後も動いている環状線で次々とJスルーカードのお客が降りてくる。その大半は事故発生前に入場しているため、振替輸送の対象となる。

それをいちいち券面の時刻を確認して振替輸送の可否を案内するのは無理な話だった。

また、悪天候により徐行運転が続き、途中から振替輸送が開始される場合など、そもそも事故発生時刻を何時何分と決められないケースもあり、依頼側会社ではついつい旅客側に寄り添った対応として振替輸送可能との案内をしがちだった。

対して受託側会社では、振替輸送として乗車させるより、正規運賃で切符を買ってもらったほうが自社の利益となるため、振替輸送を認めず切符を買って乗車するよう求めるケースが相次いだ。

そうなると、旅客はまた依頼側会社に戻ってカードの処理をしてもらう必要があり、依頼側改札の混乱はなかなか解消されなかった。

私鉄の株主優待乗車券もトラブルが多かった。JRの株主優待はいったん窓口で乗車券を購入するための割引券であり、購入後の乗車券は切符と同じ効力だ。改札入場後(旅客開始後)は振替輸送の対象となる。

対して、私鉄の株主優待はそれ自体で乗れてしまうものが多く、乗車券と誤認してしまいがちだ。全線定期のような株主優待もある。しかしこれらの効力は乗車券とは異なり、振替輸送の対象外だ。

これらも依頼側会社では振替輸送可能と案内するが、受託側会社でダメと言われるケースが目立った。

このように関西の振替輸送は、依頼側会社は運転見合せの混乱と、申し訳なさから旅客の利益となる案内をするが、受託側会社は振替輸送の旅客に対して厳しい傾向が根強くあった。

このような、依頼側会社と受託側会社での対応の違いはその後も埋まることはなかった。

そんな中、時代は磁気式カードからICカードへ移り変わって行く。平成15年にJR西日本がICOCAカードを導入、ついで私鉄も阪急と京阪が平成16年にPiTaPaカードを導入したのを皮切りに、徐々に参入会社が増え、平成18年にはほとんどの大手私鉄が導入した。

振替乗車票の案内文は平成19年になってようやく変化が現れた。従来のスルッとKANSAIカードに加えて、ICカード乗車券を追記した券が登場し始めた。

私鉄の券もこの頃からJスルーカードに加えICカードと追記した券が出現している。

振替2
JR西日本 ICカード入振替乗車票の一例
B社タイプ

振替2裏
裏面

JRの振替乗車票は、この頃から裏面にも表と、同じパターン記号を印刷するようになった。

これは、乗車券を印刷会社へ発注する際の、表と裏の組み合わせミスを防ぐ狙いで入れたものと思われる。それだけ関西の振替乗車票は種類が多く複雑だった。

またJRの振替乗車票は、この頃から別の印刷会社と見られる券が出ている。

新たな印刷会社の券は、券面の赤色が少し淡いのと、券番の書体が面長である特徴がある。

筆者は分類上、従来の印刷会社の券をA社タイプ、後発の印刷会社の券をB社タイプとして区別している。

以降はランダムに、A社の券とB社の券が出てきている。おそらく相見積もりをとって価格を競わせ、安いほうの会社へ発注しているものと推測する。

振替3
JR西日本 IC入 A社タイプの一例

そして、ICカード導入後の振替輸送に欠かせないものを掲載する。「ICカード乗車券使用証明書」だ。

従来の磁気式カードはカード裏面に入場情報が印字されたため目視で確認できた。

しかしICカードは目視での確認ができないため、受託側会社で振替輸送として有効かどうかが判断できなかったのだ。

今ではICカードの読み取り機が普及したが、当時はまだ普及しておらず、あったとしても一人ずつチェックするのは時間がかかる。

そこで、ICカードで振替輸送を希望する旅客に対し、依頼側会社でICカード乗車券使用証明書を交付した。

旅客はこの証明書を持って受託側会社に行き、そこで振替乗車票と引き換えて乗車する制度になった。

IC使用証明1
JR西日本
ICカード乗車券使用証明書の一例

その後、JRの振替乗車票にはパターンごとに細かい変化があったがまた改めて解説するとして、今回は全体的に影響がある変更だけを取り上げる。

関西の振替乗車票末期と言える平成29年11月から、振替乗車票は全く異なった青色の様式に変更された。

しかし、一斉に取り替えるのではなく、今ある在庫が少なくなり今後増刷を請求してきた駅に対して新様式を送るというものだった。

したがって、新様式の振替乗車票はなかなか出現してこなかった。

振替4
JR西日本 末期様式 振替乗車票の一例

振替4ウラ
裏面

そんな中、平成31年(令和元年)3月15日をもって関西の振替乗車票は終了した。新制度では、振替乗車票の使用を終了するとともに、ICカードは振替輸送の対象外となった。

首都圏など他の地域は元来ICカードを振替輸送の対象外としており、それに合わせる形となった。

また、振替輸送の人数をカウントせず、曜日や時間帯と運転見合せ区間から振替輸送人数を推定で計算して会社間の精算を行う首都圏方式が導入された。

終了チラシ
振替乗車票交付終了のチラシ

首都圏の振替輸送は振替乗車票無所持併用方式と言い、旅客が希望すれば振替乗車票を交付する制度だが、関西の制度は振替乗車票を一切使わないこととしたため、以降振替乗車票は路線バスへの振替乗車票が残るのみとなった。

JR西日本の末期様式である青色の振替乗車票はほとんどの券が全く使用されないまま廃札となり、発行された券は貴重なものとなった。

こうして関西の振替乗車票の2片制時代は約20年で幕を下ろした。しかしこの間にJRと私鉄双方で多くの種類が発行され、切符研究の中でも大変おもしろいジャンルとなった。

次回の記事以降、各パターンごとに変遷を細かく解説していく。



平成11年に関西の振替乗車票はJR、私鉄ともに大きな変化があった。振替輸送のパターン化と振替乗車票交付場所の変更。振替乗車票の区間統一と2片制化である。

まず、パターン化による振替輸送の実施要綱を解説する。以前の振替輸送は事故発生の場所や時間帯など、状況によってその都度振替輸送区間を検討して依頼していた。

これを、振替輸送に「◯◯線パターン」などと名称を定め、実施する区間をあらかじめ決めておく制度に改めた。これは振替輸送の依頼と受託が効率よく行え、旅客に対しても周知しやすくするためであった。

また振替乗車票の交付は、基本的に依頼側会社が交付していたが、受託側会社が交付するように改められた。

事故発生時、依頼側会社の改札は旅客が殺到する。切符の払い戻しや運転再開見込を直接係員に聞きたい人などが行列となりパニックとなる。

従来はそんな中で振替ルートの案内と振替乗車票の交付も行っていた。この役割を受託側会社の改札で行うことにより混雑を分散させる狙いがあった。

なにより、自分の振替ルートが分かっている旅客は、依頼側会社の改札で行列に並ぶ必要がなくなった。

また出勤時、家を出る時に事故発生と振替輸送の開始を知っていれば、わざわざいつもの駅に行かなくても、そのまま振替先の駅に行き、定期券を見せて振替乗車票の交付を受け乗車すればよくなった。

そして振替乗車票については、区間の統一と2片制化が実施された。

まず区間の統一について解説する。振替輸送は後日会社間で運賃の精算をする必要がある。合計何人の振替輸送をしたのか細かく計算して、依頼側会社から受託側会社へ運賃を支払うのだ。

従来の振替輸送では、振替輸送実施区間内のうち、さらにどの区間に対して何人乗車したのかを細かく計算していた。

つまり、旅客ごとに持っている乗車券や定期券の区間が異なるため、それを一人ひとり確認し、その区間に該当する着駅の振替乗車票を交付する必要があった。

この業務は非常に煩雑だった。改札口で着駅ごとに何種類もの振替乗車票が並べられ、係員は旅客の乗車券に該当する振替乗車票を確認して交付するのに時間を要していた。

そこで振替乗車票の区間を、各振替パターンごとに統一し、そのパターンの全区間が券面に記載されたものに変更した。

これにより、上り方面と下り方面の区別すらすることなく、1種類の振替乗車票だけを交付すればよくなり、スムーズな交付が可能になった。

会社間の運賃精算は、振替乗車票1枚につき何円と予め決められ、全駅で振替乗車票を何枚発行したかで精算金額が計算できた。

以前は依頼側会社で振替乗車票を交付していたが、交付も受託側会社が行うため、受託側会社の集計を完全に信用して支払うしかないが、合理性を追求した結果この方法にたどり着いたのだろう。

続いて振替乗車票の2片制化について解説する。これには自動改札機に直接投入できる磁気カード式乗車券制度(ストアードフェアシステム)の普及が関係している。

当時、関西私鉄では阪急のラガールカードを筆頭に、スルッとKANSAIと呼ばれた、各社共通の自動改札機に直接投入する磁気カード式乗車券が普及しつつあった。

そこに遅ればせながらJR西日本もJスルーカードという磁気カード式乗車券を登場させた。

これら磁気カード式の乗車券で乗車中に事故が発生し振替輸送が実施された際も、振替輸送の対象となった。

首都圏で普及したイオカードやパスネットは振替輸送の対象外であったため、これは関西独特の制度と言える。

関西私鉄では、磁気カード式の回数券が早くから導入されていた。回数券は無論振替輸送の対象となるため、磁気カード式の乗車券全てを振替輸送の対象とする考え方にまとまったのだ。

これに後発のJR西日本も同調し、Jスルーカードで乗車中の旅客も振替輸送の対象とした。

しかし当時は磁気カード式乗車券で振替輸送した際の処理方法が極めて曖昧であった。

そこで、JRが主導のうえ関西の鉄道会社が一同に協議し、磁気カード式乗車券で振替輸送を利用した際の取り扱いを統一する運びとなった。

様々な議論が尽くされ、前述のとおりパターン化、交付場所の変更、区間の統一とともに、振替乗車票は2片制とし、上を乗車票、下をお客様控えとするアイデアが採用された。

振替1
振替乗車票の一例(JR西日本)

事故発生時の流れは次のとおりだ。

依頼側会社では改札で旅客の所持する磁気カード裏面に入場記録が入っていることを確認し、出場処理せずそのまま持たせて振替輸送を案内する。

受託側会社の改札では、旅客の磁気カード裏面が、入場記録あり、出場処理なしであることを確認し、振替乗車票を交付して乗車させる。

着駅改札口係員は、お客様控えにある記事欄に「◯◯駅下車」と記入し、切り取り線で切り取って旅客に持たせる。

旅客は、所持する磁気カードが出場処理されていないため、次回そのまま使用することができない。したがって次回使用する前に、依頼側会社の改札で磁気カードとともに振替乗車票のお客様控えを提出する。

依頼側会社の係員は、印字された入場駅名と振替乗車票の記事欄に書かれた「◯◯駅下車」の情報から旅客が当初利用するはずだった区間の運賃を計算し磁気カード残額から減額。出場処理して旅客に戻す。

磁気カードに出場記録が付いたため、使用可能な状態に戻り、旅客は再び磁気カードで乗車可能となる。

振替1ウラ
振替乗車票の裏面の一例(JR西日本)

振替乗車票の裏面には、旅客が当初乗車していた会社に、磁気カードとともにこのお客様控えを持参するよう案内が印刷されている。

Jスル
【参考】Jスルーカードの一例

Jスル裏
【参考】Jスルーカード裏面の一例

上から順に乗車履歴が印字されている。入場時は「乗車駅」に印字が入り、出場時は「降車駅」に印字が入るため、振替輸送利用時は「乗車駅」にのみ印字が入った状態となる。

スルカン
【参考】私鉄磁気カードの一例

スルカン裏
【参考】私鉄裏面の一例

私鉄の磁気カードも同様に、振替輸送利用時は乗車駅のみ印字が入り、降車駅に印字がない状態となる


関係条文

●Jスルーカード取扱約款
第21条(列車運行不能の場合の取扱方)
第2項
当社が不通区間に対して振替輸送等他の輸送手段を講じた場合の取扱い方は、別に定めるところによります。

●Jスルーカード取扱規程
第15条(振替輸送等を行う場合の取扱方)
約款第21条第2項の規定によりJスルーカードにより乗車中の旅客の振替輸送等を実施する場合は、振替輸送を実施する接続駅において目的駅までの振替乗車票を発行する。この場合、Jスルーカードは発駅情報のみ印字された状態となっており、次回利用時に精算を行うため、当該Jスルーカー ドと振替乗車票(お客様控え用)を取扱駅に持参していただくよう案内する。 


筆者の手元にある平成13年版のJスルーカード取扱規程は、このあと16条、17条と続き、振替乗車票の様式と取扱方の詳細が掲載されているが、その後は削除されてしまい、第15条の条文も「取扱方は別に通達する。」と改められた。

平成11年に実施されたこの新制度は、正に到来したカード式乗車券時代に振替輸送を適切に行うための挑戦であった。以降改良を重ね、20年に渡りこの制度が使われた。



引き続き振替乗車票について解説する。今回はタイトルが代行乗車票となっている券を掲載した。

代行乗車票については、まず振替輸送と代行輸送の違いを知るところが非常に重要である。

そもそもJRの規定では、不通区間が発生した際は、まず自社線内の他経路乗車(迂回乗車)をすることが前提だ。他経路乗車は旅客営業規則(運送約款)、旅客営業取扱基準規程で規定されている。(旅客営業規則285条、旅客営業取扱基準規程360条)

そしてこの他経路乗車を、連絡運輸を行っている私鉄に対しても行うこととしており、これが振替輸送の根拠となっている。(旅客連絡運輸規則102条、旅客連絡運輸取扱基準規程41条)

また、信じられないことにこの取り扱いをする際は、改札補充券を用いて発行替をすると規定されている。

そしてその次に、旅客が多数のため改札補充券による発行替ができない時は振替乗車票を発行する旨が規定されており、これを振替輸送としている。(旅客連絡運輸取扱基準規程42条)

無論、実際には改札補充券にて発行替をしているような駅はなく、振替乗車票を交付することが通例である。

これらを踏まえ、なぜ振替輸送という制度ができたのかを分かりやすく解説する。

もし振替輸送がなかった場合で、仮に東京→小田原を乗車中に東海道本線が不通となったとしよう。

JRと小田急は連絡運輸を行っているため、旅客はいま所持している東京→小田原の乗車券を、旅行開始後の区間変更として、新宿へ出て小田急線経由で着駅を小田急小田原に変更することが可能だ。

この場合、新宿駅では改札補充券により「区変」の発行替をすることになる。

しかし、現実には多数の旅客が新宿駅に殺到し旅行開始後の区間変更を申し出るため、一人ずつ改札補充券で発行替をするのは不可能だ。

そこで振替輸送という制度を作り、この時だけは振替乗車票をもって私鉄への区間変更を認め、不足運賃があっても差額を収受しない。かつ定期券、回数券、団体券の旅客も区間変更を認めて一律にに救済する。それが振替輸送の成り立ちである。

このように、区間変更が念頭にあるため、改札補充券による発行替の取り扱いを先に規定しているのだ。

話しを振替輸送と代行輸送の違いに戻そう。前述のとおり、振替輸送は連絡運輸を行っている私鉄に対して行うものであり、連絡運輸を行っていない私鉄に対しては旅客連絡運輸規則及び旅客連絡運輸取扱基準規程の対象外であり振替輸送とはならない。

JR西日本でも、これをしっかりと使い分けており、連絡運輸を行っている私鉄とは振替輸送、それ以外の私鉄とは代行輸送としている。

今回掲載の代行乗車票は神戸市営地下鉄が不通になった際の券だ。JR西日本と神戸市営地下鉄は連絡運輸を行っていなかった。即ち、振替輸送契約も交わしていないため、振替輸送とはならず、代行輸送になるのだ。

ちなみにJR東日本管内では、連絡運輸を行っていない私鉄との代行輸送も、振替輸送と同じものとし、切符も同じ振替乗車票を交付している。

なお、長時間の運転見合せで、貸切バスにより列車代行のバスを走らせるような場合のみ代行輸送と呼んでいる。

またJR四国では、伊予鉄道、高松琴平電鉄、とさでん交通との振替輸送を行っているが、やはり連絡運輸を行っていないため、これらは代替(だいたい)輸送としており、切符のタイトルも「代替票」となっている。

西軟代行
平成14年 JR西日本 代行乗車票
新長田-三ノ宮 神戸市営地下鉄不通時

掲載した券は、神戸市営地下鉄が不通となりJR西日本が代行輸送を受託した際に発行された代行乗車票だ。

この代行乗車票は、神戸市営地下鉄が運転見合せとなるケースが非常に少なかったため、発行されることがほとんどなかった。非常に珍しい券と言っていい。ひょっとしたら硬券時代は硬券だった可能性もある。

大阪市営地下鉄もJRとは連絡運輸を行っていないため代行乗車票となるが、この様式とは別の様式を使用していたため、このように振替乗車票と同じ様式で、タイトルだけが「代行」となっているのは、神戸市営地下鉄から受託したケースだけかもしれない。

なお、発行が平成14年となっており、関西の振替輸送はとっくにパターン化後で大型軟券に切り替わっている時代だが、神戸市営地下鉄、神戸電鉄、北神急行の神戸3社との振替輸送はパターン化が遅かったため、この当時も大型軟券化されず中型軟券が残っていた。

交付場所についても、パターン化以降は受託側会社で交付するように変わったが、この券はまだ依頼側である神戸市営地下鉄の新長田駅で交付していた。そのため、日付印も神戸市営地下鉄の印が押印されている。


平成4年にJR西日本大阪印刷場の硬券印刷が終了し、平成5年1月末をもって駅の硬券は全て廃札とし返納されたが、運賃、料金が含まれない「乗車票」だけはそのまま残された。

残ったのは、主に団体旅客乗車票、スト決行による定期延長時の乗車票、そして振替乗車票であった。

したがって、振替乗車票はその後も長年にわたり各駅で硬券が設備され続けていた。しかし、硬券を使い切った口座からいよいよ順次軟券が出現し始めた。

この軟券は名刺サイズをちょっと正方形に近くしたような大きさで、団体旅客乗車票やスト用の乗車票もこのサイズを使用している。

その後、平成11年に関西の振替輸送は「パターン化」という歴史的大革命を遂げ、振替乗車票は大型軟券となることから、この中型軟券が使われた口座は少ない。多くの口座が硬券からそのまま大型軟券に移行している。

西軟振替
JR西日本 振替乗車票 中型軟券
天王寺-柏原 近鉄南大阪線不通時

また、この中型軟券でも次に掲載のとおり着駅記入式の様式が存在する。

西軟記入
JR西日本 振替乗車票 中型軟券
着駅記入式
天王寺-鶴橋 近鉄南大阪線不通時
近鉄大阪線へ迂回乗車用

関西の大手私鉄は平成11年に一斉にパターン化しているが、近鉄は遅れて平成13年10月になってからパターン化に加入している。

したがって、その間も近鉄から受託する券だけは大型軟券化されなかったため、このように中型軟券が出現した口座がいくつかある。


以前から、関西の振替乗車票を記事にしてほしいとのリクエストをたくさんいただいていたため、今回から連載で紹介していこうと思う。

関西の振替乗車票はパターン化以降の大型券が大変複雑で研究上おもしろいが、まず関西の振替乗車票の歴史や概要を知らなければ大型券の理解も進まないため、初めに硬券時代まで遡って解説していく。

まず、首都圏と他の地域の振替輸送の大きな違いとして、依頼側と受託側どちらの券を交付するかが挙げられる。

事故発生時に他の鉄道に乗車できる振替乗車票は、乗車券のひとつであり、その切符で乗車する会社が調製した券を交付するのが基本的な考え方だ。

そのため、受託側の社名や地紋の入った乗車票を依頼側の会社が交付し、振替乗車経路の案内とともに振替乗車票を交付するのが基本的な運用である。

しかし、首都圏では多数の社局の路線に対して同時に振替輸送が行われるため、それら全ての社局の券を預かって行き先ごとに該当する振替乗車票を確認して交付するのは合理的でない。そこで依頼側会社の振替乗車票を交付し、それで受託側会社のどの路線でも乗車できる運用となっている。

つまり、首都圏では振替輸送を依頼するケースが少ない社局が振替乗車票の発行枚数も少ない。対して他の地域では、振替輸送を受託するケースが少ない社局ほど振替乗車票の発行枚数も少ない。

JR西日本の振替乗車票があまり残っていないのは、依頼するケースばかりで、受託するケースが少なかったからだ。

特に昔は、関西の私鉄は事故の復旧が非常に早かった。人身事故でも15分程度で運転再開するため、振替輸送を依頼しないケースが多かった。これがJR西日本の振替乗車票が少ない最大の要因と言える。

もうひとつ、首都圏と他の地域の大きな違いとして、券面に区間が入るか否かがある。首都圏の振替乗車票は着駅欄が空欄になっており、記入もせずそのまま交付しているが、これも合理性を優先したためだ。

本来は区間を入れなければならず、他の地域ではあらかじめ着駅が印刷された券を使用している。そのため、行き先ごとに各着駅が印刷された振替乗車票の設備が必要で、どの駅も振替乗車票の口座数が大変多かった。

西硬
JR西日本 振替乗車票 B型硬券
向日町-高槻 阪急京都線不通時

着駅については、次の券のように記入式の様式も出ている。そもそも各着駅の券を設備していても全く発行しない区間が多く無駄が多い。そこで、発行頻度が少ない区間は記入式の券で対応していた。

しかし、振替乗車票には報告片がなく、発行後に駅で控えが残らないため、どの区間に何枚発行したのかが分からなくなる欠点があった。

発券時に区間をメモ書きで残す方法もあったが、あらかじめ発券する可能性がある区間ごとに10枚程度着駅を記入して作り置きしておき、振替輸送終了後に減っている枚数を確認して、どの区間を何枚発行したのか把握する方法もとられていた。いわゆる常備代用である。

西硬記入
JR西日本 振替乗車票 B型硬券
着駅記入式
和泉橋本-JR難波 南海本線不通時

この券は着駅がJR難波であり、本来は着駅が印刷された券があったと思うが、おそらく使い切ってしまい着駅記入式で代用したのだろう。

発行箇所表示は、依頼側である南海の二色浜駅長となっている。総体的には受託側の駅長名表示が多いように思うが、このように依頼側の駅長名表示も散見される。



前回の記事の続きとなる。札幌〜幌向(乗継)〜様似方面の相互間で割引となる乗車券は、様似側の地点が前回掲載した日高幌別のほか、今回掲載する様似-鵜苫築港前の2種類があった。

乗継様似
JR北海道バス 様似営業所
幌向乗継割引乗車券
札幌-様似.鵜苫築港前

日高幌別の券とは着色を変え視認性を高めている。券面右側の停留所名に途中の停留所も印刷されており旅客にとっても分かりやすい。

様似ウラ
裏面

411の記事から今回までの3枚は全て様似営業所で購入したものだが、券番が全て40番台後半である。ひょっとしたら1〜40ぐらいまでは乗務員が携帯しており、営業所では40番ぐらいから発売していたのかもしれない。

そのぐらいに、この制度は全く一般に浸透していない割引制度であった。


引き続きジェイアール北海道バスの軟券を紹介する。今回は幌向乗継割引乗車券だ。

この制度は、高速ひろおサンタ号で幌向で下車し、同社の一般路線バスに乗り換えて様似方面に乗車する相互間に適用された。

これは、同区間に直通する高速バスえりも号が設定されており、それを利用した場合と同額となるように設定されていたが、一般に浸透しておらず利用率が低かったこともあり、2023年9月末で制度廃止となった。

乗継日高幌別
JR北海道バス 様似営業所 
幌向乗継割引乗車券 札幌-日高幌別

日高幌別ウラ
裏面

この券も、やはり裏面には表と同じ内容が印刷されている。ちなみに小人用の設定はなく、大人券しか存在しなかった。

札幌側では、410の記事で掲載した補充券にて発売していたため、この券は様似営業所か車内でのみ発売していた。


引き続きジェイアール北海道バスの券を紹介する。今回は高速ひろおサンタ号用に使われていた往復割引乗車券だ。

この券は様似営業所で購入したもので、札幌側ではひとつ前の記事で掲載した補充券で発売していたようだ。

この往復割引の制度は2023年12月末で廃止が告知されていたが、11月1日より乗務員不足のため無期限の運休となってしまい。制度最終日も運行されなかった。

広尾往復
2023年 ジェイアール北海道バス
様似営業所 広尾-札幌 往復割引乗車券
小人用

上下の券片のうち、上が札幌発、下が広尾発となっており、広尾発の場合は下から使う形だ。

地文が前回掲載の補充券と異なるため、拡大したものを掲載する。

広尾拡大
今回掲載の往復券の地紋

大谷地 地紋
前回掲載の補充券の地紋

また裏面は、運賃箱投入時にひっくり返っても運転士が視認できるよう表と同じ内容が印刷されている。違いは券番の有無があげられる。

広尾往復ウラ
裏面

この券はほとんど売れておらず、券番の進みもゆっくりであった。


ジェイアール北海道バスの出札窓口、「バスチケットセンターアピア」は同社のメインとなる窓口であったが、2023年10月に近くへ移転し、名称は「バスチケットセンター札幌駅前北三条」に改められた。

アピアの窓口は、筆者も昔から何度も通った思い出深い窓口だった。出札補充券などのいわゆる手売り切符もたくさん購入したが、その中で発行箇所名が印刷されていた券が今回掲載する高速バス用の補充券だ。

この券は様似、広尾方面の高速バスに対して発売するもので、区間表示は左側の札幌、大谷地のどちらかに◯を付けて札幌側の地点を確定。右側に金額を記入するという珍しい様式だ。

矢印は相互矢印となっており、復路にも使用できる様式となっている。しかし、右側部分はどう考えても金額より停留所名を記入したほうが分かりやすく、なぜこのような様式となったのかがよく分からない不思議な券だ。

大谷地
平成30年 JR北海道バス アピア発行印刷
高速バス用補充券

大谷地ウラ
裏面

裏面には高速バスの路線名が記載されている。このうち「高速えりもひろお」号は多客期にのみ運行されていたが、平成29年を最後に運行されておらず、今後削除される可能性がある。


西大寺鉄道は、西大寺地域と岡山市の中心部を結ぶ目的で明治44年に部分的に開業したのが始まりであった。

その後も部分開業を経て、大正4年に岡山市側の終点、後楽園まで全通を果たしている。

西大寺町
西大寺鉄道 西大寺町-京都
B型硬券

日付が不鮮明だが、発駅の西大寺町は昭和28年2月1日に西大寺市に改称しているため、それ以前の発行であろう。

この改称は、同日に周辺11町村が合併し西大寺町が西大寺市になったことによる。

運賃は71円を運賃変更印で訂正している。また、本来A型だが、戦時体制でB型としており、終戦後間もない頃の印刷と思われる。

西大寺町地図
当時の路線図

まだ国鉄赤穂線はなく、地図上の国鉄西大寺駅は現在の東岡山駅にあたる。

西大寺鉄道はその後に開通した国鉄赤穂線と区間が競合することから、昭和37年9月7日をもって廃止された。

ちなみに現在の両備バスは西大寺鉄道と下津井電鉄が出資した子会社である。廃線当時、西大寺鉄道は子会社の両備バスと合併しており、厳密には両備バスの西大寺鉄道線であった。

このような軽便鉄道は多くが赤字による経営難で廃止となるが、西大寺鉄道の経営は末期まで順調で、国鉄赤穂線の開業がなければその後も存続した可能性が高い。


客車指定券は戦後の混乱期と言える昭和25年10月1日から登場した。対象となる車両は、スロ60形式客車だった。

スロ60形式は、当時まだ珍しかったリクライニングシートを採用するなど、非常に豪華な内装であったため、製造中は1等車として計画されていた。

当時は3等級制だったため、2等車(いわゆる旧2等)が今のグリーン車にあたり、1等車(旧1等)はとんでもなく豪華で高額であった。

スロ60形式客車は、結局2等車として投入されることとなったが、従来の2等車より豪華な内装だったため、特別な2等車として「特別2等車」と命名された。

客車指定券
昭和26年 客車指定券 A型硬券

特別2等車は、2等車を表すカタカナのロを付けて、「特ロ」と呼ばれていた。

1等車…イ
2等車…ロ
3等車…ハ

そして、一年後の昭和26年11月からは、券のタイトルが特別2等車券に改められた。

したがって、客車指定券だった期間は初期の約一年間のみであったため、客車指定券はあまり残っていない。

特2
昭和27年 東京 特別2等車券 A型硬券

特別2等車券に変わってからは、地帯別の料金となり、300キロ、600キロ、1200キロ、1201キロ以上の四つの料金が存在した。

やはり東京〜大阪間の需要が最も多かったため、600キロまでの券が比較的多く残っている。

近鉄の硬券に不思議な「1区間ゆき」という券がある。

これは自動券売機で発売されたもので、昭和30年代に一部の駅でのみ発行された。

布施1区
昭和32年 布施 1区間ゆき B型硬券

通常は右側にあるはずの小児断線がないため、なんだかフォントが間延びした感だ。裏面には国鉄同様、自動券売機を表す「◯自」が印刷されている。

当時の近鉄の規定では、乗車券は着駅式で発行すべきだが、当時の自動券売機は単能式だったため、1種類の切符しか発売できなかった。

そこで、1台の券売機で上下どちらの方面にも使用できる切符を発売するために、券面を「1区間」という表示にして発売したのだった。

ちなみに、本来はダントツで利用者の多い鶴橋駅に自動券売機を導入したかったが、鶴橋駅は利用者のほとんどが国鉄から乗り換える旅客だった。

切符の発売には、ちゃんと鶴橋まで有効な国鉄の券を持っているかのチェックや回収が必要だったため、鶴橋駅の乗換改札口では自動券売機の設置がなかなか進まなかった。


四国にあった高知県交通も、バス会社にしては数少ないしっかりとした硬券を使用する会社であった。

高知県交通
昭和43年 高知県交通 座席指定券
A型硬券

タイトルが座席指定券であり、区間の記載が券面にないことから、国鉄の座席指定券と同様に、乗車券は別に必要で、乗車券とこの券を併用して使用した切符と思われる。

高知県交通は、平成26年に土佐電気鉄道と合併し、社名は「とさでん交通」に改められた。


昭和44年5月10日実施のモノクラス化以前に存在した異級乗車券は、行程の中で一部区間だけ1等に乗車する乗車券だ。

地紋の色は上級である1等の緑色が使用され、視認性を高めるため「異」の影文字が赤色で加刷されている。

この「異」の加刷は調製した印刷場によって特徴がある。今回はその中で東京、札幌、仙台の各印刷場の券を見比べてみよう。

異級東京
昭和39年 東京印刷場 異級乗車券
桜木町 補充片道券 D型硬券

まず比較的多く残っている東京印刷場から掲載する。異の字は上の「田」と下の「共」の間が繋がっているのが特徴だ。

異級札幌
昭和39年 札幌印刷場 異級乗車券
苫小牧-東京都区内 青函連絡船のみ1等
A型硬券

影文字はゴシック体の印刷場が多いが、札幌印刷場は明朝体である。特に異の下部「ハ」部分は、左側のはらいと右側の止めが対照的で、活字を作成した職人の美意識が感じ取れる。

異級仙台
昭和44年 仙台印刷場 異級乗車券
三沢-函館 青函連絡船のみ1等
A型硬券

仙台印刷場の異級乗車券は少ない。異の字は「田」と「共」の間に隙間があるのが特徴的だ。下部の「ハ」部分は小さく、全体的にかわいらしい。

そもそも異級乗車券を発行するのは行程に連絡船が含まれている場合が多い。鉄道は2等でいいが、船の2等船室は設備が悪いので、船だけ1等に乗りたいという需要があったからだ。

したがって、旅客流動が多かったのは首都圏(東京印刷場管内)と北海道(札幌印刷場管内)の間である。必然的に東京印刷場と札幌印刷場の券は比較的多く発行されている。

仙台印刷場の管内はちょうど間に位置するが、東京印刷場、札幌印刷場に比べるとあまり切符が残っていない。それだけ仙台印刷場管内と札幌印刷場管内の旅客流動が少なかったものと考えられる。


国鉄時代は新潟印刷場管内であった信越地区は、他駅発の硬券乗車券を設備するケースが比較的多かった。

しかし分割民営化後は硬券を発売していた駅が少なかったため、やはりJR時代の他駅発乗車券はあまり残っていない。

したがってJR券の他駅発というだけでも珍しいが、今回掲載する券はさらに新幹線経由のアンダーライン入りだ。

JR広丘
平成2年 JR東日本 広丘 松本-大阪市内
アンダーライン入 B型硬券

広丘の次駅にあたる塩尻も全ての優等列車が停車するため、広丘発でじゅうぶん対応できそうだが、なぜかこのように反対方向の松本発の券を設備していた。

JR券、他駅発、アンダーラインという三つの珍しい要素があり貴重な券と言える。


前回に引き続き、田主丸駅の九州新幹線区間の特定特急券をとりあげる。

前回の平成24年発行の券は、区間表示の下に「●自由席車にお乗りください。」と「●途中出場できません。」の二つが記載されていたが、この平成25年発行の券は「自由席車にお乗りください」だけの記載に変わっている。

久留米特25年
平成25年 JR九州 田主丸
九州新幹線 特定特急券
途中出場できません削除券

なぜ、このような記載に改めたのかは不明だが、何らかの意図があるように思える。

その後は、田主丸駅も自動発券化されたため、この券も使用しなくなった。前回掲載の券も、今回の券もいずれも発売期間は短かったため、珍しい券と言えるだろう。


九州新幹線は開業が遅かったため、開業した頃には常備軟券を使用する駅が少なくなっていた。そのため九州新幹線の常備軟券は珍しい。

平成16年の新八代〜鹿児島中央間の部分開業時は、在来線に特急「リレーつばめ」が設定され、特急券は在来線と新幹線を同一列車とみなして通しの特急料金で計算、発券する制度であった。

この制度が複雑であったため、自動発券する端末装置がない駅では、常備券を設備せず、料金補充券を用いて発行していたようだ。

その後も端末装置の普及に伴い、発券端末がない駅はどんどん減少を続けた。結果、平成23年の全線開業時には、常備軟券を使用する駅は非常に少なくなっていた。

そんな中、久大本線の田主丸駅は端末装置がなかったため、平成23年の全線開業に合わせて久留米〜博多間の新幹線特定特急券を設備した。

久留米特24年
平成24年 JR九州 田主丸
九州新幹線 特定特急券

田主丸駅は自動発券可能な端末装置がない駅でありながら、新幹線特急券の購入需要がある程度見込めるという条件が重なったのだ。

他の端末装置がない駅では、やはり料金補充券を用いて対応していた駅がほとんどであった。


かつて京都市交通局では、市バスの乗車が集中する多客時に準常備式の軟券を用いて対応していた。

この券は、随分昔から存在したと思われるが、筆者が購入したのは平成10年代であった。

金額帯ごとにA券〜E券の5種類があり、視認性を高めるためそれぞれカラーが異なっている。業務上の使い勝手はもとより趣味的にも素晴らしい様式だ。

京都市準片
京都市交通局 市バス 多客臨発
準常備式乗車券 A〜E券

上部にあしらわれている挿し絵は、清水寺の三重塔と、嵐山の渡月橋と思われ、観光客への発売を意識している。

この券は、ゴールデンウイークや紅葉シーズンの週末等に京都駅前で立ち売りする場面を見かけたが、カード式乗車券の普及に伴っていつしか使われなくなった。

ちなみに、当時の京都駅前での立ち売りでは、発売対象金額帯のC券とE券しか発売していなかった。しかし、他の券種があることは容易に想像がついた。

そこで筆者は、当時中央区の壬生にあった京都市交通局の本局まで取材に行き、お願いして他の券種も含め全5種類とも発売していただくことに成功した。

JR北海道の第一種車内補充券にミス券が存在する。

領収額欄のローマ字「Received」が「Receiveb」となっており最後の「d」を「b」としてしまったエラーだ。

北ミス札幌
JR北海道 札幌車掌区 第一種車内補充券
ミス券

拡大
当該エラー部分の拡大
正しくは「Received」

このミス券は他の車掌区の券にも見受けられ、しばらくミスに気付かないまま印刷されていたと思われる。

北ミス旭川
JR北海道 旭川車掌区 第一種車内補充券
ミス券

以前の記事で一畑電鉄の特別補充券のミス券をとりあげたが、やはりこの第一種型の領収額欄のローマ字であった。

第一種型の券面には昔からローマ字併記の箇所が多く、ミスが起こりやすい。

お手持ちの第一種型の券面をよーく見ると、案外ミス券が隠れているかもしれない。


前回に続き広島太田川花火大会の臨発券を掲載する。太田川花火大会の人手は横川のみならず、可部線にひと駅入った三滝駅にも押し寄せていた。

三滝駅は無人駅だが、この日は切符の臨時発売を行い、多客対応を行っていた。

202402080036_0001
平成14年 JR西日本 三滝 太田川花火臨発

三滝小
平成14年 JR西日本 三滝 太田川花火臨発
小人用

右下の発行箇所欄は「001可部」となっており、管理駅は横川駅でなく可部駅だったことが分かる。

太田川花火大会は広島最大規模の花火大会として長年8月10日に開催され市民に親しまれてきたが、この平成14年が最後となり、翌年からは広島みなと夢花火大会と統合されてしまった。


むかし広島の夏の風物詩と言えば太田川花火大会だった。毎年8月10日に行われ、打ち上げ場所は横川駅付近を流れる太田川放水路であった。

当日の多客対応に、横川駅では金額式の軟券を臨時発売し対応していた。

横川
平成14年 JR西日本 横川 太田川花火臨発

横川小
平成14年 JR西日本 横川 太田川花火臨発
小人用

発駅名の横川は信越本線にも同名の駅があるため、本来は線名を付して「(陽)横川」とすべきだが、「横川」となっている。

券面右下の発行箇所欄のみ「001(陽)横川」となっており、どうも窓口の登録のみ(陽)が付けてあったようだ。

ちなみに信越本線の横川駅の読みは「よこかわ」だが、こちら山陽本線の横川駅は「よこがわ」と読む。


前回に引き続き、近鉄の吉野山多客臨発券を紹介する。今回は小人専用券だ。

このように小人専用券があるため、前回掲載した大人用の券には小児断線がなく、大人専用券となっている。

吉野臨小
近鉄 大阪阿部野橋 吉野山観桜多客臨発
往復券 小人用 税率5%時代

大人用が赤色(橙色?)であったのに対し、この小人用の券は灰色となっている。

おそらくこの灰色の様式が旧様式で、大人用の赤色券が新様式と考えられる。

ちなみに、近鉄の制度では、往復券の往路は当日限り有効となっており、往路と復路では有効期限が異なる。

したがって、往路片に記載されている「発売当日限り有効」はミスでなく、正当な表記である。


吉野山は桜の名所として知られ、その数は3万本にもおよぶと言われている。その吉野山の桜が満開となる頃には、近鉄南大阪線は多客となり、特急は満席、急行も通勤列車なみの混雑となる。

そんな多客時に大阪阿部野橋駅で臨時発売していたのがこの往復券だ。

吉野臨大
近鉄 大阪阿部野橋 吉野山観桜多客臨発
往復券 税率5%時代

乗車日を押印しないケースが多く、券面からは正確な発行年月日が分からないが、筆者が平成10年代後半に購入したものだ。

吉野駅側が小規模な駅で、多客になると出札や券売機も混雑するため、このようにあらかじめ往復券を買わせて、吉野駅の混雑を緩和させる狙いで発売していたものと思われる。


今宮駅発行の発駅がJR難波で固定(印刷)された通勤用補充定期券を掲載する。

今宮
平成8年 JR西日本 今宮 
発駅JR難波 補充定期券

補充定期で発駅が他駅で固定された券は珍しい。今宮駅の場合、帰宅時に大和路線で奈良方面まで乗車する際に、いったん逆方向のJR難波へ乗車し折り返し乗車すると始発駅となるため、ラッシュ時でも着席して帰宅することができた。

そのような需要が多かったことから、今宮駅ではこのようにJR難波を発駅として固定した補充定期を設備していたのだ。

もちろん自駅が固定された券や、発駅が空欄のいわゆる発ムの補充定期も設備しており、比較的多くの補充定期を設備していた。中には準常備式で、切断箇所に大和路線の各駅が印刷された区間指定式の通勤定期もあった。


連載してきた、京阪バス京都遊覧発行のJR西日本特急券。最後に税率5%時代の準常備式、岡山発固定で乗継割引適用の在来線用自由席特急券を掲載する。

この券も、やはり右側の切断箇所の料金が全て改まっている。右端が焼けているのは、窓口で保管中の経年劣化だ。常備券に比べて横に長い準常備券は、どうしても端の部分が飛び出してしまう。

それでも、次々と売れる口座は焼けが目立つ前に売れてしまうが、この口座はなかなか売れなかったため、色褪せが目立つほど焼けてしまったのだ。

8%岡山
平成12年 税率5% JR西日本 京都遊覧
岡山発 乗継割引適用 自由席特急券

伊豆箱根鉄道など、列車の直通運転が行われている会社を除いて、これだけ多くの券種を受託して発売していたのは、おそらく京阪バスだけだろう、

窓口担当者は、乗継割引などJRの制度を理解して業務にあたらなくてはならず、苦労したに違いない。


引き続き、消費税率が5%に引き上げられてからの、京阪バス発行JR特急券を順に掲載していく。

今回は準常備式の新幹線自由席特急券だ。発駅は京都で固定されており、やはり京都発以外は発売できないように制限されている。

8%新幹線準常備
平成12年 税率5%JR西日本 京都遊覧
準常備式 新幹線自由席特急券

ちなみに、この平成12年の券も筆者が直接窓口で購入しているが、平成8年訪問時には急行券もあったので購入している。しかし、平成12年訪問時には設備がなかった。

これは、対象列車である急行「丹後」、急行「きたぐに」が廃止となり、京都駅を発車する急行列車が消滅してしまったことを受け、口座廃止となったためである。


平成8年夏に硬券から軟券に変わった京都遊覧のJR料金券、その数ヶ月後の平成9年4月1日には消費税率改定による料金改訂があり、再び新しい券に更新された。

8%米原
平成12年 税率5% JR西日本 京都遊覧
新幹線特定特急券 京都-米原

消費税率は3%から5%に改められており、この京都〜米原の新幹線特定特急券については、930円だったものが950円に改められている。

また、3%時代の券では特定特急券のみ発行箇所に「京阪バス」の表記がなかったが、5%時代の券には表示されている。


連載中のJR西日本、京阪バス京都遊覧発行の軟券。前回掲載の岡山発に続いて、今回は名古屋発の乗継割引適用自由席特急券だ。

発駅の名古屋は言わずと知れたJR東海の中心となる駅で、JR西日本の券にその駅名が堂々と載っている違和感がおもしろい。

名古屋5%
平成8年 JR西日本 京阪バス 京都遊覧
名古屋発 乗継割引適用 自由席特急券

やはりこの券も、京都〜名古屋の新幹線自由席特急券と同時発売したものである。

北近畿タンゴ鉄道も同様に多方面のJR特急券を発売していたが、こちらは料金補充券を持たせてもらっていたことにより、ここまで多種多様なJR特急券はなかった。

では、京阪バスと北近畿タンゴ鉄道の違いは何か?

答えは、北近畿タンゴ鉄道はJRから第三セクターに転換された路線である。この点が切符の設備に非常に大きく関係している。

以前にも解説したが、国鉄時代からJRは私鉄においての料金券委託発売において、補充券を持たせない習慣が根強くあった。

補充券を持たせてしまうと、契約外の券種や区間を発売してしまう恐れがあるからだ。

しかし、第三セクターに転換した北近畿タンゴ鉄道等は例外的に料金補充券を持たせている。

理由は大きく二つある。まずひとつは転換後もJR直営時代と同じ発売範囲を維持することにより、旅客の利便性低下を防ぐ必要があった。

二つ目の理由は、第三セクターに転換する場合は、勤務している駅係員や乗務員が、転換後も第三セクターに出向する形でそのまま勤務する点だ。

会社が変わっても駅の係員がいきなりガラッと変わることはなく、その係員は直営時代から料金補充券を発売するスキルがあるのだ。

もちろん新会社になってから雇用する人が居たり、観光協会等に業務委託化するなどして、係員は徐々に入れ替わっていくが、その過程で料金補充券の発券スキルについても技術継承ができていく。

これらが、第三セクターが料金補充券を持たせてもらえている大きな理由だ。

京阪バスはこのようなJRから転換した会社ではないので、これだけ多くの発売範囲であっても料金補充券を持たせてもらえなかったのだ。

そのような事情から、京阪バスにしか存在しなかった様式が多数あり、研究上は非常に興味深かった。

軟券化された際に設備されていた様式はこれまで掲載したものが全てである。筆者が直接窓口で全様式を購入しているので間違いない。

今思えば、硬券時代に同様の買い方で全様式を買っておくべきだった。これは筆者の切符収集人生において痛恨の判断ミスであった。


引き続き京阪バス京都遊覧発行のJR券を掲載する。今回は、岡山発の乗継割引適用、在来線用自由席特急券だ。

この様式も駅では使用してないと見られ、京都遊覧だけの大変貴重な券だ。

岡山5%
平成8年 JR西日本 京阪バス 京都遊覧
岡山発 乗継割引適用 自由席特急券

この券は、岡山までの新幹線自由席特急券と同時に発売するために設備していた。

制度上、同時発売でこそ割引が適用されるため、どうしても設備しなければならなかったと言っていいだろう。

岡山からは伯備線特急やくもと四国方面の特急が出ていた。そのどちらに対して発売したのかによって、会社間の精算が異なるため、報告片に記録していたものと思われる。


引き続き京阪バス京都遊覧発行のJR西日本料金券を見ていこう。今回は準常備式の急行券を掲載する。

筆者が直接購入したもので、券番は0001だ。着駅の記入が省略されてるが、やはり発駅は京都で固定されているので、山陰本線を走っていた急行丹後に使用したものと思われる。

急行券5%
平成8時 JR西日本 京都遊覧
準常備式 急行券

北陸本線を走っていた夜行急行きたぐににも自由席が設定されていたので、そちらにも使えたかもしれない。

JR西日本の、軟券の準常備式急行券も駅ではほとんど使用しておらず、この券だけだった可能性が高い。


京都遊覧の平成8年に硬券から切り替わった軟券から、今回は準常備式の新幹線自由席特急券を掲載する。

新幹線5%
平成8年 JR西日本 京都遊覧
準常備式 新幹線自由席特急券

硬券では着駅を全て印刷していたが、軟券では金額のみの印刷に変更されている。

しかし、上りなら全てJR東海の収入となるが、下りなら収入はJR西日本とJR東海の2社にまたがるため、どちら方面として発売したかの記録は報告片に残していた可能性がある。

発行箇所は、硬券時代、及び前回掲載した軟券化後の常備式の券にはなかった社名「京阪バス」が入っている。同じ軟券で社名のありなしが混在しており、不統一となっている。

JR西日本管内で軟券の準常備式新幹線自由席特急券を設備していたケースは非常に少ないと思われ、ひょっとしたら京都遊覧だけだった可能性もある。


引き続き、京阪バス京都遊覧委託発売のJR西日本の特急券を掲載していく。

京都遊覧では、JR西日本の硬券発売が終了した平成5年1月末日以降も、そのまま硬券を発売し続けていたが、平成8年の夏、急に軟券に改められた。

まず、今回は385の記事で掲載した特定特急券の軟券バージョンを掲載する。

新大阪5%
平成8年 JR西日本 京都遊覧
新幹線特定特急券
京都-新大阪

米原5%
平成8年 JR西日本 京都遊覧
新幹線特定特急券
京都-米原

筆者は当時あまり深く考えておらず、なんとなくこのまま硬券でいくのかと思っていたので、急に軟券に変わったのには心底驚いた。

JR西日本管内で、軟券の新幹線特急券を委託発売していた私鉄は、京都遊覧と北近畿タンゴ鉄道ぐらいで、貴重な切符と言えるだろう。


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